権威ある領域へ向かう

一ヶ月ほどちょっとしたバタバタがあり
(まだ片付いたわけではないのですが)
かなり落ち着いてきたので久しぶりの日記です

最近神様から「新しいこと」を示されていますが
そこに向かう大きな邪魔 霊的な混乱から
解放されつつあることを感じます

大きなことが起きる前はいつも
霊的な大騒ぎがありますが
それがやっと落ち着いてきた感じです

神様から これをやるようにと
言われたことをやっていると
霊的に大きな変化が起きます

今までは それを「神様に応じれば起きるもの」だとか
「何をなさっているのかはわからないけど 神様は
私の知らないところで何かをされている」という

よくわからないけど神様ありがとう!
という感覚で捉えていたのですが

神様が 今それに対して目を開くようにと
示されていると感じました

そのようにしてQTに臨んだ時

エリシャの元に敵の大群が訪れた時に
弟子の目を開くと 敵の数を上回る
天の大群が敵を取り囲んでいるのを見ましたが

正にそのようなビジョンを見ました

私やりゅうくんが神様に言われたことを
忠実に行っている時
私やりゅうくんが敵に向かい
出て行けと宣言をすると

その場にいられなくなった敵は
どの方向に逃げようにも
神の大軍に取り囲まれているのです

また りゅうくんと一緒に祈ると
みつかいたちが働いてくれるのだと思います

神様は私には
敵が何を言っても凛とした態度で
ここから出て行くように命じ
その領域を取り返して神様に捧げるように
と言われました

また りゅうくんが神様に忠実である時
私が神様とりゅうくんに守られていることを
喜び感謝することは武器となると
教えてくださいました

少し前に 私に与えられている領域と
りゅうくんに与えられている領域の違いを
神様がはっきり示されたのですが

それは肉の目に見たらまるで「逆」で

それぞれに与えられたものは
りゅうくんにも私にも不向きで
相手にこそ向いているんじゃないかと
思うようなものでした

しかし 権威はそのように与えられており
相手が上手くできるからこそ
相手から学ぶことが出来る

私とりゅうくんはそういう相互関係に
あるのだということがわかります

同時に 過去の日記から
私自身がどんなに人から求められようとも
それはもう やってはならないと
示された理由がよくわかりました

代わりに 人に教え育てることを
示されたわけですが その一番の相手が
りゅうくんであるわけです

人の目 肉の目には 私がそれをやるべきだと
思われてしまうことであっても
私がそれをやることは神様のご計画にはない

だけど神様が私に備えられた賜物であり
それはりゅうくんをはじめとした
「人に教えるため」なのです

ですが 神様からこのことを様々な角度から
示されるうちに気が付いたのですが

神様が与えてくださった賜物で
尚且つ権威が与えられていないなら
その領域を敵が壊そうとするのは当然ですが
悪い心を持った人は それを悪い心で利用したがる

ということがよくわかりました

振り返ってみると その領域で
嫌な思いをした裏には必ず
悪意があったことを感じますし

悪意を見て見ぬ振りは出来ない性格なので
人の悪い心と対峙してしまうことになるのです

そういう状況が起こることを
神様は良しとされていないし

人の悪意と対峙させて人間関係を壊そうとする
敵が背後にいるのだと感じました

賜物を用いるのは悪意の背後にいる敵ではなく
神様でなければいけません

ですが今は 賜物を用いること以上に
与えられた「権威」を用いることを
示されているように感じます

権威が与えられた領域を歩む中で
自然と賜物は用いられていくことに
なるのではないかと思いますが

今は 自分の権威を用いる道を
神様と一緒に歩みます

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