聖書にある教会の姿

昨日の午後と今日の午前・午後は
「使徒的教会の台頭」の著者の一人
ロバート・ハイドラー師による講義で

そもそもで 今の「牧師がいて信徒がいて
牧師一人がケアをする形」というのは
ローマがキリスト教を国教とした時に
ミトラ教をベースにして ローマが教会を
管理しやすいように作った形であり
全く聖書的ではないというお話でした

実際 聖書に「牧師(たち)」という単語は
1回しか出て来ていません

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神の義に立つ

昨日寝る前 りゅうくんに対して
神様から示されたやりなさいということをやることが
神の義に歩くことであり そのようにすれば
必要はすべて満たされる ということと

「他の人のためになるから」「将来役に立つから」という
大義名分つけて誘惑を掴んでしまい 結果神様から示されたことを
後回しにしたり 見向きもしなくなってしまうのであれば
アダムの呪いに歩くことになるし 何より
今の今 今日の必要や明日の必要というところで
干上がるよ ということを明確に伝えました

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偶像の撤去

3日前の日記で 母が嫌になって離れたという
人たちから薦められたものを捨てなさいよ と
思ったということを書きましたが

それを言う機会が思ったよりも早く訪れました
というのも もし出産をしたらその後
2週間ぐらい実家においでと言われたからです

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イエスさまを信じる理由

今日はイエスさまが復活された日曜日です

私たちも肉の誕生日の他に 洗礼を受けた日を
新しい命の誕生日と言っているので イエスさま
新しい命のお誕生日おめでとうございます~♪
と 喜び祝っていると

ただ新しい命で生まれただけではなく
古い命に死んだ私たちのことを抱いて
一緒に生まれてくださったんだ という
思いが与えられて とても嬉しい気持ちに包まれました

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自分の弱さと向き合う

昨日 りゅうくんの物語がその日の出来事を
そのまま表していたことについて
朝にきちんと送ってくれて読んでいたら
平安に過ごせたのにー と思いましたが

よくよく考えたら平安に過ごせていたら
営業電話を社長に振ることがなく そうなると
「船長が剣を落とす」という出来事が
起きなかったかもしれない

平安ではなかったことが 神様の預言の
成就のために必要なことだったのかもしれない

と気付きました

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