権威ある領域で成長するために

相変わらず日記を再編纂中なのですが

期待の現れという記事の中で
神様が 私が怒ったことを喜ぶという
驚くべき体験をしたことが書かれていました

答えから言ってしまうと
怒るのが嫌で無視をしていたら
きちんと怒るように促された

というものなんですけど
とどのつまり

怒りたくないからという理由で無視をするのは
自分に対しても相手に対しても無関心

ということだということがわかります

上記の記事の場合は
りゅうくんが自分の言葉に対して
無責任なことを無視してはならず
私がりゅうくんに教える立場であることを
無視してはならない ということでしたが

私は なんだか腑に落ちないけど
と思いつつもスルーしてしまうことが結構あり

良くないな と思ってしっかり考え始めたら
だんだんイライラしてきてしまう
というパターンがあることに気付きました

これも、怒りたくないから無視してしまう
というものです

聖書にも 怒ったまま翌日まで過ごすことは
良くないとは書かれていますが
怒ってはいけないとは書かれていません

また他の記事では、どうでもいいやと
スルーしていた人に対して赦すように
促されたことが書かれていました

怒っていないのだから赦すも赦さないもない
と 思っていましたが
そもそも怒らないのは無関心だからです

これは自分に対しても無関心であり
相手に対しても無関心だということです

無関心は愛と真逆の性質であると思います

黙示録で「熱いか冷たいかであって欲しい」
と言われていたものの 冷たい方です

ですが神様は 自分のことやりゅうくんのこと

もっと言うと 自分自身に権威が与えられた
領域について熱く生きて欲しいと
望まれているのだということが
最近になりやっとわかってきました

無関心でい続ける限り その領域において
人格が成長しないのだと思います

考えて 向き合って 怒った上で赦すという
過程を通らないと真っ直ぐ向き合えないし
権威も用いることが出来ないのです

何故なら権威とは 愛がある領域に
発揮されるからです

最近ずっと示されていた
愛を注げることだけをする というのは

神様が権威を与えた領域を愛しなさい

ということだということです

日記を読んでいると失敗を恐れないでとか
効率を求めないでということを
すごくすごく示されているのですが
それらのことは全て一貫していることがわかります

愛があるからこそ怒ることや
愛があるからこそ上手くできないことに
イライラすることから逃げないこと

成長のプロセスから逃げないで と
示されているのだと思いました

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人