御思いの中を歩くために

当然と言えば当然なのですが

神様の御心以外は本当に
どんなに心に決めていても為りません

もし 神様の御心を完全に無視して
心にひっかかりがあるのに
ぶっちぎるなら為るかもしれませんが
その結果 刈り取るものは
恥だったり痛みだったりするので
為られても困るし 為って欲しくありませんが

しかし 神様の御心は私がほんの少しでも
思いを向ければすべて為されるということを
実感する日となりました

今月初めに神様が 来月になったら
あることをしなさいと目標数字を示されました

結構頑張らないと達成できなそうだったので
少しでも負荷を軽くするために
事前の準備をしたいと思っていたのですが
全く計画通りに事が進みませんでした

その代わりと言っては何ですが
達成するために必要そうな「種」が
たくさん降ってきたので

さっさと自分の方法は諦めて
ただ それが為りますようにと
祈るだけでいいんだな~ と改めて思いました

自分の力で何かをしようとすると
必ず敵が嘘を投げ込んできます
特に自分の計画を推し進めようとすると
必ずと言って良いほど嘘が入ってきます

基本的に私は 自分で決めたことを
やろう!みたいな我を持っていないし
都度都度神様に確認しつつやっているので
神様の反応が薄い部分については
あー なんか間違っているな と察します

ですが 自分で決めた計画は絶対にやり遂げる!
みたいに思ってしまう人だと躓きやすいところでしょう

かと言って 神様は自由を尊重してくださるので
「モチベーションをください!」とでも
祈らない限り やる気は与えられません

物事を為し遂げることに抵抗がある人に対しては
神様は優しいのでお膳立てをしてくださるのですが
心が決まらないと逃げてしまうことがあります

神様は私たちの心をご覧になるので
結局は 自分の心が重要になるわけです

子どもが 親の顔色をうかがって
何かをしようとするのであれば
親は喜ばないどころか黙ってしまいます

また もし親が愛を持って
何かを与えようとしていても
子どもが下心を持って受け取ろうとするなら
それは取り上げられてしまいます

「ただ 子どもとして素直に」なのですが
人によってはそれ自体のイメージがわかなかったり
わかったとしても簡単ではないと感じます

しかし 親子としての信頼関係を
神様と築かない限りはその先には進めません

私たちには 神様の子として
成長する道が用意されているので
まず神様の子という身分に
かたく立つ必要があります

それは 永遠に変わらないテーマです

神の子としての心が定まりさえすれば
多分 やる気に依存する必要はなく
常に神様に今やるべきことを確認をして
最適なペースで歩き続けることが出来ます

今でこそ 簡単にそのように言えますが
自分の思いにある余計なものを
まずは自覚し そして取り去ってもらう
という過程が何度も何度も繰り返されました

自覚することが まず一番しんどいのですが
先日も書きましたが その苦味を
味わうことは本当に大切だと感じます

とりなしの祈りをしていると
その苦味を感じることがとても多いですが

その先にある光を見ることが出来るなら
その苦味は大きな希望であると感じます

よかったらシェアしてね!

この記事を書いた人