人生に現したいもの

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最近 仕事であまり関わりたくない系統の
情報をまとめる機会がありました

第二列王記 5章18節にあるナアマン将軍の
祈りがすぐに心に与えられたので祈ると
とても守られた感じがしました

そのことを神様への感謝としてメモ書きしたのですが
後で見直した時 逆にその時の嫌な雰囲気を
思い出してしまいました

神様への感謝を形に残したいとは思えど
これでは逆効果だな と捨ててしまったのですが

最近 ずっとそのような状況が続いていたので
その中で神様の恵みや栄光をどう書き表そうか

ということを考えました

日々 神様の恵みは感じていますし
祈りは即座に応えられます

ですがある時 確かにこれは
祈りに対する答えではあるけど
このような形で叶うことは望んでいない

と思うような出来事がありました

そのことを思いめぐらす時に
クリスチャンになる前にも
似たような出来事があったことを思い出し

当時の霊的背景と今回のトラブルの
背後にいるものが同じであるとすれば
至極納得のいく出来事だと思いました

それは 幼いころ私が親から受けた
霊的攻撃と全く同じだったので

その時の傷を炙り出して乗り越えて
神様によって強められることが
求められていることも感じました

その出来事が過ぎ去った時
幼い頃に 間違えた形で自分の中で
納得してしまった「仕方がない」という感覚を

神様の贖いの故に赦す というものに
置き換える必要を感じました

というより そのように赦さないと
自分が他の人に同じように
自分がされた嫌なことをしてしまう

ということを強く感じました

また 今回の出来事の根にあるものを
探り出そうとした時に

私たちの信じている創造主なる神様は
人の願いや自己実現を叶える神様か

それとも 神様が創られたイメージにより
地に神様の栄光を表すため共に歩まれる神様か

という思いが強く与えられました

自分の人生に 神様の栄光を
現したいと願っているのか

それとも自分がやりたいことが
形になることを願っているのか

そう考えた時 自己実現について
一所懸命に語る人たちが離れていくことに
とても安心する思いが与えられました

そういう人がもう二度と 私の人生に
関与しないことを願った時に
自分の内や 自分の近くにある
その様な思いを片付ける必要を感じ

りゅうくんにも同じ質問をしました

自分の自己実現のために
神様に何かを求めるのか

それとも自分の人生に神様の栄光を
現すために神様と共に歩みたいのか

勿論 ご利益主義者たちのように
自分の願いのために神を言祝ぐような
人たちは論外なのですが

神様が創られた自分自身に向き合わず
自分のやりたいことに向かっているとき
人は神様に背を向けていると思います

そこが破れ口になるのです

りゅうくんと二人で 神様の愛が
少しでも盗まれないように
1滴でもこぼされることが無いように
心から祈りました

また ふと開いた聖書箇所に
今の状況にぴったりの祈りが書かれていたので
それを心から祈りました

私には どのように生きたいという希望はありません
ですが私は自分の人生に 神様の栄光が現れることを
心の底から願い続けていますし
それ以外に興味はありません

また 神様が愛しなさいと与えられた人を
もっと愛したいと思っており
その愛を汚し 盗むものが二度と私たちに
近づいてこないことを心から願います

今回の出来事を通して 自分が過去に書いた
文章を読み返す機会がありました

それは神様が望まれていた故に
文章になったものだったと改めて感じました

神様の栄光を現すため以外に
自分を注ぎ出すような文章は
絶対に書きたくないな と思いました

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