キリストの花嫁

あることについて 動くべきか否かと
思い巡らしていたことがありました

以前の自分であれば
どっちが正解だろう
どっちが神様の御心だろうという
考え方をしていたのですが

ふと 神様は私の心をご存知で
神様が為してくださるんだよね

という思いが与えられたので

思い悩むことを止めて
神様に委ねます と手放しました

そして帰宅すると それに対する
答えが届いていたので
喜んで先に進むことが出来ました

そうか こうやって進めばいいんだ

と思ったので あらゆることを
神様に委ねる祈りをしました

そこに至る過程において

りゅうくんが音読したり
メッセージで送ってきたりする
聖書箇所のうち とある3ヶ所が
最近 物凄く心に残っていたことが
自分にとって大きかったと感じるので
その事をシェアします

その箇所がどこかは書きませんが
(というのは 言葉で伝えると
間違えて捉えてしまう人がいそうなので)

その3ヶ所からそれぞれ私が感じたのは

神様の創られたものを
拝んではいけないけど
神様の創られたものを
喜ぶことは良いことだ

ということと

神様が自分自身に定められた
「魂の幸い」以上を求める心は悪であり

もし魂の幸いがないのに
何かのために(神様のために も含む)
何かを望むのは悪いことなんだな

ということ それから

悪から離れたいなら
悪を為す人から離れればいいし
悪を為す人の下にいたら
悪をせざるを得なくなるんだ

ということでした

魂に幸いを得るために
努力する必要はないな と思いました

神様により頼む以外に
魂の幸いなどないからです

神様が創られた自分を喜んで
生きることに勝る幸せはないし

自分の思うところが神様に
受け入れられる以上の幸せもありません

神様に喜ばれたいなら
神様により頼んで
神様に幸せにしてもらうことが
一番だな と思うと同時に

それが キリストの花嫁ってことか
と 思いました

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