全てを益に出来る方と共に歩く道

好きな証のお話があります

牧師さんが礼拝で話をしようとすると
いつもあるライターが3人一番前の席に座り
色々と批評・批判を記事にしてしまうのだそうです

とても嫌で 神様にずっと祈っていると
ある時 神様が夢を見せてくださいます

そこには神様の作品としての自分がいて
誰かが彫刻をしています

神様は 削りだされて美しくなる
今はまだ過程だと仰いました

そして周りの雲の中から3つの腕が出てきて
自分自身を削っているのです

その3つの腕は何を意味しているのか

そう思いながら見ていると
その3つの腕は いつも礼拝で最前列に座る
批判的な3人組だったのです

それを見て びっくりすると同時に
その3人に愛着が湧いて来たそうです

自分を美しく削り出すという
神様の仕事を負ってくれているんだな

そう思えるようになったら
批判的だろうが何だろうが
気にならなくなり
むしろ彼らの言うことに
心を開くようにもなった

そうこうするうちに その3人は
礼拝に来なくなったそうです

彼らによる削り出しの時期が
終わったのだな と感じたそうです

私自身 このような体験を
若い頃にたくさんしています

嫌なことをされる
人とぶつかってしまう

そういう時 必ずそこに自分自身を
変えるチャンスが潜んでいる

そう思ってきましたが

しかし 以前は神様の導きがなかったので
自分で勝手に方向性を決めつけて
自分自身を歪めてしまいました

得るものもあったけれども
失うものもあったのです

今 神様は私自身が身勝手に
捨ててしまった大切なものを
回収させてくださっていますが

神様の御元であれば そういう
余計なことをせずに自分を磨くことが出来る

否 実際はそんな簡単ではありません
迷うし敵の誘惑や嘘もあるし
何より 自分自身の十字架という重荷に
耐えきれないと思うこともあるでしょう

自分を愛するということ
自分の人生の全てを背負うことというのは
そんなに簡単なことではないと思います

紆余曲折があっても
時に放蕩したとしても
神様は待っていてくださり
とりなしの祈りをしてくださいます

神様の愛の安全なカバーリングの下で
それが出来るというのは本当に恵みであると思います

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