神様から与えられる人生

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今日 教会で再受講中のクラスで
神様に祈りが叶えられた証を
シェアする時間がありました

私の証に対して 一緒にいた姉妹が
とても重要なことを言ってくれました

それは

あなたが神様は良い方だと信じ切っていることで
神様が願いを叶えてくださっていると感じる

というものでした

実際神様は 私たちに良いことしかされない方です

私たちの必要も思いもご存知で
大変気前のよい方です

聖書の約束は絶対だという
確信を持つことが出来るのであれば

神の国を第一に求める時に
必要が満たされることが約束されています

マタイの福音書6章31-33節
そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、
何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。
しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに
必要であることを知っておられます。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。

神の国とその義を第一に求める というのが
どういうことであるかについては
主の祈りに集約されていると思います

マタイの福音書6章9-13節
天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
御国が来ますように。
みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。
私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。
私たちの負いめをお赦しください。
私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。
国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。

ここまでは「必要の満たし」のお話です

そればかりでなく 聖書には 条件付きですが
求めるものは全ていただけるということが
きちんと書かれているのです

ヨハネの手紙第一3章21-22節
愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、
大胆に神の御前に出ることができ、
また求めるものは何でも神からいただくことができます。
なぜなら、私たちが神の命令を守り、
神に喜ばれることを行なっているからです。

・罪悪感を持たない
・神様の命令を守る
・神に喜ばれることを行う

この条件を満たす時に求めるものは
なんでもいただくことが出来るのです

念のため言うと

神様の愛と憐れみとみ恵みは
私たちの行いや状況に関わらず
一方的に与えられるものであり

到底神様に喜ばれる基準に
至れていないような状態でも注がれます

ですが 救われた後 自分自身を全て
神様に委ねた生き方を選ぶ時

神様に従順になり
神様に喜ばれる生き方をする時には

父なる神との親密な親子関係の中で
求めるものがなんでもいただけるという
領域に入っていくのです

聖書の神様は 人を支配するような神ではありません
そもそも人に自由意志を与えられたのは神様ですから
支配をするのは本末転倒です

人が自らの意思で神様に従順になる時
人は悪から守られ真っ直ぐな道を歩きます

人が自らの意思で神様の愛に応える時
神様は本当に喜んでくださいます

そして 神様が与えてくださるものは
良いものしかありません 何故なら
ご自身の素晴らしさ ご自身の栄光を現すために
私たちのお願いを叶えてくださるからです

そしてそれは 神様にしか出来ない方法で叶えられます

神様の方法がどういうものであるかについて
1つの証をしたいと思います

先日 スーパーの特設コーナーで
広島レモンケーキを見かけて
買おうかどうしようか考えて辞めたことがありました

その次の日曜日に 教会の近くで
水道の蛇口が壊れて困っている人を
助ける機会があったのですが

翌週「お礼を持ってきてくださったよ」と
教会のスタッフさんに渡されたのが
広島レモンケーキだったのです

今回は買うのを辞めておこうと思ってから
10日以上が経っていましたが
神様は 私が遠慮せずに受け取れる形で
広島レモンケーキを与えてくださったのです

これが「私にとって神様は幸せを
ねじ込んで来る方だ」と言う所以です

遠慮しようが何しようが神様は
ご自分の栄光を現す形で
そのみ恵みを受け取らせてくださいます

ちょっと欲しいかなという思いが過ったぐらいでも
このノリで与えてくださる神様ですから

切に ください!!!と祈ったもの

特に「人には無理でも神様には出来る」領域の
ことなら 物凄いスピードで叶えてくださいます

但し注意することが1つあります

神様は ご自身の栄光を現すために
み恵みを下さるのであり

人の欲を満たすためにみ恵みを下るのではない

ということです

逆を言えば ご自身の栄光を現さないような方法で
与えられるような神様ではないのです

もっとはっきり言うなら 欲を満たすだけであれば
偶像の方が得意かもしれません

イエスさまが サタンの誘惑に
遭った時のことを思い出してください

ルカの福音書4章5-7節
また、悪魔はイエスを連れて行き、またたくまに世界の国々を全部見せて、
こう言った。「この、国々のいっさいの権力と栄光とをあなたに差し上げましょう。
それは私に任されているので、私がこれと思う人に差し上げるのです。
ですから、もしあなたが私を拝むなら、すべてをあなたのものとしましょう。」

悪魔(偶像)はこの世を物質的に支配していて
お金や物をたくさん持っていますし
お金そのものにも悪霊が潜んでいることがあります

もし 欲しいものを得られるのであれば
神様でも偶像でもお金でも構わないと思うなら
それは大変危険なことです

神の国を第一に求めていませんから
神様から必要を頂ける機会を失います

満たす方法はどれでも構わない と思った時点で
神様と人との関係は壊れてしまうのです

更に 彼等は欲しいものを与える条件として
自分を拝むことを求めてきます

それに応じるなら偶像崇拝の罪を犯すことになり
神様と断絶してしまいます

それこそが悪魔の目的であるわけです

目先の欲しいものを手にしていのちを失うのと
神様に喜ばれて欲しいものをいただくこと

どちらを選ぶかは選択の余地はないと思うのですが

しかし 神様のタイミングではなく
自分のタイミングで求めるのであれば
敵の誘惑に負けてしまうことになるのです

神様の方法ではなく 自分の方法で求めても
同じく敵の誘惑に負けてしまいます

ですから 神様に対して何かを祈ったら
委ねて手放し 神様が介入出来るように
余地を開けておく必要があります

神様は 人に自由意志を与えられたので

「神様の方法にお委ねします」

という意思表示をしなければ
人に栄光を現すことが出来ないのです

神様に与えられる人生を送るなら
委ねることが必須となります

様々な領域で 神様に介入して頂けるように
祈ることは本当にパワフルです

ぜひ これらのことを意識して祈ってみてください

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