本物の相続財産

昨夜のことですが りゅうくんが
神学校の課題で論文を書いたので
そのチェックをして欲しいと言われました

問題を感じたところを指摘すると
それは りゅうくんが課題図書の中で
よくわからなかったながらも
そうなんだろうな と読んだままに
受け取ってしまっているところだった
ということが判明しました

要するに 神様から来た理解ではなく
人が書いた文章をそのまま鵜呑みに
しているところが霊的におかしいと
感じたところだったわけです

その本は 確かに神様の霊感により
書かれているのでしょうけど
それを聖霊による理解を得ることなく
言葉通りにただ信じて受け取るだけなら
その背景は神様ではないということです

なるほど 御言葉をただ丸暗記していた
パリサイ人たちも神様の心を知らず
神様の遣わされたイエスさまを見ても
受け入れることが出来ませんでした

よく「自分は知っている」と思いながら
何かを学んだり話を聞いたりすると
身にならないということを言いますが
わからないのにわかった振りをするのも
表裏一体なんだな と思いました

今 新しい業界で全く知らない用語を
聞くことも多いのですが
そのわかりにくいものを素人の
お客様に伝わるようにするのが仕事なので
知らなくてよかったと思いつつ

それなんですか?とたくさんの質問をして
たくさんの感じたことや思ったことを
素直に伝えるようにしているのですが

その時に 私は無意識のうちに
「霊で聞く」ことをしていると感じました

昔から 話を聞いているだけで
自分がそれを実際にやっているような
気分になるタイプではあって
想像力豊かだよね とはよく
言われていたのですが

霊で聞いているんだ ということが
今回はっきりとわかりました

だから同じ言葉を聞いているはずなのに
違うと感じたり 見た目はあまりよくないのに
霊ではとても素晴らしいと感じたり
希望を感じることが出来るのだとわかり
それは本当に 神様から頂いた
素晴らしい賜物だなと感謝をしました

勿論 世の中においては見分けの賜物の故に
生きにくさを感じることは多かったですが
神様を知った今は良いことしかありません

ですが 御国の賜物を持って生まれた
子どもたちが世の中で生きにくさを感じて
世に馴染めず傷を受けることというのは
悲しいことだなと思いました

以前 神様が私をこの両親の元に置かれたのは
もし両親が神様に導かれていたとしたら
本当にそれこそが神様のイメージ通りだったと
感じたので クリスチャンというのは
神様の愛を受け取って神様の愛を
子どもたちに流すことが本当に大切だと思います

生きにくさを感じていた時というのは
自分の賜物を否定したいことが
たくさんあったということで
その殆んどは 盗もうとする力や
コントロールしようとする力によります

また 拒絶されるということもありますが
それは 拒絶している本人が自分の賜物を
拒絶している証拠でもあるので
全ての人が 神様の愛と恵みを受けることが
大切であるということになります

自分の賜物に対して この賜物が頂けていて
良かったと思えるような環境であることは
御国を地に表すという意味でとても大切ですが

この地を勝ち取っていくという意味では
それだけでは弱いということになります

今日 QTを通して神様から示されたことは
今の平安に満足せず 特に不満がないような
難しさを感じないような領域すらも全て
神様に委ねて 勝ち取りに行くことを
忘れないように ということでした

例えば家というのはある意味安全な場所
特に引っ越しをして理想的な環境を
作ってからは 不満を感じて祈ることもなく
自分のコンディションという「感覚」に
頼って管理していると指摘されました

それら全てを 仕事を神様に委ねるのと
同じように委ねなさいと示されたので
細かいことまで神様に委ねる祈りをすると
びっくりする程に霊的に軽くなりました

仕事で疲れているせいだと思っていたら
違ってた!と本当にびっくりすると共に
祈りを促して頂けたことに本当に感謝をしました

神様が与えようとしてくださっている
レベルは 自分が思うよりもずっと高く
素晴らしいものを頂いた と満足しても
更にまた高いレベルが与えられるので
本当に凄いなぁと思います

それら全てをしっかり受け取らないと
人にそれを流すことは出来ませんし
子どもたちに相続していくべきものは
この霊的な恵みに他ならないと感じます

この世で虫がつき腐食するようなものではなく
神様から来る新鮮な霊的恵みを受け取り
流していけることに 本当に心から感謝します♥️

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