自分の人生を何で満たすか

2021年10月21日で洗礼を受けてまる9年
10年目に入ります

洗礼を受けた頃に親しくしていた人から
「洗礼を受けて全く違う人になった」と
言われましたが、

神様は、私が大切にしていたものを
全て砕かれ、その代わりに
神様が本来の私に用意していたものを
たくさんくださったと感じます

要するに、私は神様と出逢うまで
神様が私に用意していなかった
間違えた人生を送っていた、
ということになる

しかしそれは、私だけの話ではなく
親からしてそうだったと思うので
家に代々続くものであったかもしれません

そしてそれは多分
うちに限った話ではありません

ただ、その「間違える人生」に対して
間違えない人生を探し求めるか
それとも 人生とはそういうものだと
受け入れるか というのは大きく違う

両親は 自分が嫌だったから
子どもたちには同じ思いを
させたくないと思ったし

私自身には 神様の目線がわかれば
ミスリードをしなくなるという
根拠のない強い思いがありました

今になれば、それは神様が
私に与えてくれた信仰だと思うけど

若い頃、まだ神様に出逢う前は
その思いは私の人生を
悪いもので満たすことになりました

神を自称するおかしな人々を
引き付けてしまい、嫌な思いを
たくさんすることになったから

でも今、神様はその時に敵に壊された
たくさんの事柄を取り返して
くださっていると感じます

私としては、もう見たくも聞きたくもない
振り返るのも嫌な出来事ばかりだけど
向き合わなければ取り返せない
というジレンマはありますが

しかし間違えなく
神から出ている物事は
神様が作られた私自身を
祝福し 建てあげる

同時に 神から出ていない物事は
神様が作られた私自身に
嘘のアイデンティティを
押し付けようとして
その祝福を受け取ることを
邪魔しようとする

その闘いが起こることは免れないけど

負けた経験があると過去の自分の
恐れや苦い根が 神様からの恵みを
選びにくくしてしまう側面があります

そこで必要になることが賛美であり
神様からの励ましであり
聖書のみことばだったりします

助けて、じゃないわけです
だって神様は助けようとしているし
闘うための武具はくださっているから

パウロとシラスが投獄された時
神様助けてくださいとは祈らなかった

神様が与えようとしている勝利を
喜び賛美することは
私たちクリスチャンの最強の武器

あなたは喜びの子
あなたの喜びは武器

その様に預言し励ましてくださった
方々に 今心から感謝します

神にあって喜べることに
心から感謝します

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