求めていなかった必要

神様が「やりなさい」と示されたこと以外を
削りに削っていく作業をする中で 今

経験することでしか癒しや解放が起きない領域
に置かれていることを感じる日々を送っています

良いものを受け取るためには不要なものを捨てて
良いものが入る隙を作らなければいけないわけですが

捨てるべきものとは一体何なのか

それを明確にする作業だと感じています

今まで不要なものについては感覚的に
ポイっと捨ててしまってきていたのですが

必要なことはわかっているのに
どうしても受け取れない領域があり
その原因が何であるかはわかっていながら
なかなか打開できない状態が続いていました

この問題 ということは
なんとなく当たりはついていたのですが

その問題に対して自己解釈で歪めてぶつけてくる
日本人クリスチャンが何人もいたので

日本という土地にある問題なんだろうな
ということを感じていました

英語圏の人から受けた預言は全て
素直に喜んで受け入れることが出来ていたので

最終的には バイリンガルの
預言ミニストリーの方に
日本語圏の方にではなく
英語圏の方に預言をしてほしいとお願いをして

やっと 神様からこの問題を解決するために
私が何を捨てなければいけないのかを
明確に示してもらうことが出来た…ということは

半年前ぐらいの話なので日記にも書いていますが
私が捨てなければいけないものは「仮面」でした

とは言え、幼少期から自分を守るために
好むも好まないもなく身に着けてしまったものなので
何をどうすればよいかは全くわかりませんし

上述の通り 日本人クリスチャンは
この件について歪んだことばかりを
ぶつけてくるので困っていたわけですが

それが取り去られることを祈り始めると
起きた出来事が 私に仮面をつけることを
強要してきた人とのバトルと決裂だったのです

その筆頭は母でしたが それだけではなく
ネットでの人間関係の中でも
様々なことが起こり始めました

そしてそれは 記憶する限りでの子どもの頃
小学校や中学校の頃にきちんと
向き合うべきだったのに避けてきたことを
やり直す時であることを痛感しました

その中で 神様がわたしやりゅうくんに
何とどう向き合って欲しいのか
どのような人生を歩んでほしいと
神様が望まれているのかについても
段々 明確になっていきましたし

何がどのような手口で
私の人生を壊しているのかも
わかってくるようになりました

更には どうしてそんなことが起きてしまうのか
構造上の問題のようなものも明確になり
どうしたらその構造にならないように出来るのかも
なんとなく見えてきましたし

その構造を受け入れない人と
受け入れない理由についても
なんとなくわかってきました

それらの詳細については具体的には書きませんが

問題が入ってくることを許容する権威の下では
中にいる人は各自 自分を守るための
ルールを作って持たなければいけなくなり

その各人の持つ自衛のルールこそが仮面だ

ということははっきりとわかりました

例えて言うなら

もし「他人の家に勝手に入ってはいけません」
というルールがなかったとしたら

他人が家に勝手に入ったとしても
誰も何も言えないし 出て行けとすら言えないので
何らかの自衛が必要になる

ついでにいうと その自衛手段という仮面を
真似たり そこで個性を表そうとしたりするのだけど
それは本当の個性ではない とも気づきました

色々ありますが 一番大切なことは

ここにはルールがないのだから
頑張って自衛しなくちゃ というのは
「間違えた人生」だった ということです

私の親は 私を守らないどころか
私に悪いものばかりを招き入れる人たちでした

ですから私は 親に対して
悪いものを持ち込むのはやめてくれ
という線引きだけをしていました

親が私を守るなんていうことは
無理だと思っていましたし
ないものねだりはするものではない
と思っていました

被害さえなければ十分だ

と 思っていたのです

ですが今朝 神様から示されたことは

本来 子どもは親から安全に守られ
愛される権利があるということ

守られて安心して生活することは
子としての必要であること

その必要を満たさなかった親のことを
恨んでも怒ってもいないことはわかるが
それでも必要を満たしてくれなかったことを赦し
自分にそれが必要だと認めて受け取ってほしい

と いうことでした

望んだことはなかったですが
確かに子どもが守られることは必要なことです

子減らしや借金のかたとして売られた子は
行った先で奴隷として役立つ道具である必要がある
奴隷の考え方というのはそういうものです

しかし親が子を虐待したり きちんと育てなかったために
子が他の人に引き取られた時に
子が養育費の心配をしたり
自分の態度一つで殴られたり捨てられたりすることを
恐れることについては

引き取った人が愛をもって そうじゃないんだよと
わからせてあげる必要がある

そんな感じなんだな と思いました

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