神様が良いとされるものだけを見る

昨夜はもの凄く強い風が吹き
浴室の内倒し窓が風で開いてしまう程でした

今日は午前中は曇っていましたが
昼になるととても明るい空になりました

悪いものを全て吹き飛ばしていただいたようで
とても清々しい空気になりました

ここ半月ぐらいの間に神様から
人が こういう人を人格者だと
思うというような「人の目線」を
完全に断ち切るように示されています

こういった示しにより思い出すのが
「人の書いた歴史書にはイスラエルで
良い政治や貿易を行った素晴らしい
王だったと記されている王が、歴代誌では
神の目に悪を行った王だと記されている」

という話です

誰のことだったかは忘れましたが
金策が成功して民が豊かに暮らせても
神様から来ていないことはあるし

書かれてはいないものの
神様から来ない恵みの下では
きっと神の人と呼ばれる人たちは
虐げられたのだろうな と思いました

次の世代がどうなったとしても
自分たちが生きている間だけ
良ければいい という
目先だけのことを考える人はいます

そういうのって酷いな、と
思っていたこともありましたが

最近 もっと酷いものがあると知りました

それは悪いものを分別する知恵知識がなく
悪いものを後世に受け継がせようとする人です

本人には悪気がないどころか
良いことをしているつもりなので
頭を抱えていたら

神に従う人は家畜の求めるものすら知っている。
神に逆らう者は同情すら残酷だ。
箴言 12:10

というみことばを示されたので
なるほどーと納得すると同時に

相手の求めるものを真に知ることは
神様のご性質なんだ と
深く実感をしました

確かに神様は心を探る方で
自分が求めてもいないような
素晴らしい恵みで満たしてくださり
思っても願ってもいなかったような
高いものを与えてくださいます

あまりにも貴く平伏す程の恵みです

でも、与えられたものが
素晴らしいことに気付くことなく
人の手柄にしてしまう人もいます

そんなことを話していたら
海外には未だに地動説が理解できず
(というか地球が球体だと信じず)
天動説を信じている人もいるらしいと
りゅうくんが言っていました

進化論だってそうですし
真理を知ることが出来ることや
神様の御恵を見ることが出来るのも
ただ神様の恵みであり
人の知恵知識の問題ではないのだから
神様を知れることをただ喜ぼうと思いました

今日のQTはヨシュア記7章で
罪についての示しでしたが

ここは神様が 聖絶すべきものの中から
(財宝などを)盗んで自分の内において
自分たちを聖絶するべきものにしないように

と示されたのにもかかわらず 民の中に
服や金銀を盗んでしまった人がいたために
次の戦いで36人もの犠牲者が出てしまうお話です

盗んだ者は 神に示された通りにくじで見つかり
その者の娘息子から家畜や持ち物まで全てを
石打ちにして焼き尽くすという
悲劇が起きてしまったところでした

QTでは 彼らは犠牲者が出たから何の躊躇もなく
罪を取り除けたことを示されました

もし犠牲がなかったら人々は迷い
罪を重ねてしまったということです

それは罪だよ とただ示されても
痛い目に遭わないとなかなかそれを
取り除けないことは確かにあります

私はそれがすごく嫌だったのですが

しかし考えてみれば 痛い目に遭っても
罪から離れるどころか
神に向かって怒る人すらいるのです

迷いや怒りを高慢な思考へと昇華したのが
殺すのではなく赦すことが出来るようになり
人は神を超えたというようなことを
言っている哲学だと言えるかもしれません

混沌というのは悪魔の性質であり
そういうことを言う人は 口先ばかりで
実態は 同情すらも残忍です

生み出す力がないものたちが力を持つためには
必ず何かから奪う必要があるからです

善かれと思うことが神様の前に
残忍だと言われるような人たちが
思い描く人格者というのは
結局のところ 彼等にとって
都合が良い存在でしかなく
奪うことを正当化するようなものだと感じます

しかし神様は聖であり 真実で誠実であり
神様が語られたことは必ず実を結び
その憐れみと愛は 人を自由にします

イエスさまが取り返してくださった権威は
悪いものの言う耳障りの良い嘘に対して
口を閉ざしてここから出て行けと命令する権威です

人から奪うことを正当化して
神様の愛と良いものから引き離そうとする
一切の霊的権威に対して
イエスさまのお名前により 出ていけと命じます

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