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数日前に とても霊的混乱を
持ち込まれてしまったのですが
そこにはあるパターンがあることに
気が付きました

それは「反面教師」です
私が相手の反面教師となり
相手の欠点を指摘してしまうのです

優しく相手の問題に光を当てるのではなく
相手は恥をともない逆恨みされることも
少なくなかったので本当に嫌だったのですが

父が死ぬ前に 反面教師だったんだから
これはこれでよかったんだ と言ったのが
父が敵の嘘を掴んで発言していたことに
気が付いたので すぐに手放しました

私は 父がもっと早く気付いてきちんと
一緒に家族をやりたかったと思ったのに

それでも悟れただけまだよかったという
敵の嘘に同意してしまっていたから
私が反面教師をやる霊に付け入る
隙を与えてしまっていたのです

クリスチャンになる前のことなので
見分けの霊も持っておらず
知らずのうちに敵に同意したことですが

悔い改めて 神様の真理に
立ち返ることを宣言しました

他にも 先日示された「神様が
創られていない私の優しさ」について

敵に同意した人が敵のやり方を
強要してくる時などに
やんわりと断ろうとすると
なかなか引き下がってくれないことに
困っていたのですが

その時に 相手にも生活あるしなぁと
変な同情心 間違えたあわれみの心が出て
そのままそっとしておこうと
思ってしまうことが悪いとわかりました

敵に同意し続けることよりも
イエスさまに出逢う方が
その人にとって余程 益だ とは
最近やっと思えるようにはなっていたので
その部分については長い時間をかけて
少しずつ取り扱われていたと感じます

また 傷付いた人が相手を悪く言う時に
仕方ないな と聞き流すことも同じです

そうではなく 神様にこの状況に対して
どうすればいいですか?と神様は
尋ねて欲しかったのだとわかりました

困ったな どうしようかなとか
傷付いているんだな まだ
解放の時期ではないのだなと
自分の判断で流してしまうのではなく

神様と一致してそこに神様の
みこころを流して欲しかった

それが 神様の御心で 神様が創られていない
優しさを捨てて欲しいということだったのです

更に 最近示された大きなことがありました

それは神様から出ていないものを
神様からだと言ってしまうことです

これについては最初 どういう意味だ?と
思ったのですが 例えば偶像が飾られた
飲食店に行った時に 最初のうちは
物凄い敵対する霊的雰囲気があったのに

その場所の呪いを打ち砕いたり
そこにいる人のことを祈っていると
そのお店の人に良くして貰ったり
サービスを受けることがありました

それを 神様からの恵みだ と思って
受け取ってしまっていたのです

しかし昨日 久しぶりにそのようなお店に
行った時に 神様が示してくださったのは
それは神様からの恵みではなく
敵からの分取り品であるということでした

敵からのものを神様からだと
感謝して受け取ってしまった時に
敵に付け入る隙を与えてしまっていたと
示されたのです

何でもかんでも神様からだと
思うのではなく 霊的にどういうものか
見分けて受け取る必要があるということです

それは知らずにやっていたというよりも
これは神様からじゃないけど
神様からだってことにしたいなぁという
思いが確かにありましたから
素直に悔い改めの祈りをしました

この件を思い巡らしていた時に

教会で奉仕をする時に牧師からの指示なのに
物凄い霊的な邪魔が入るので
おかしいなぁと思ったことを思い出しました

その時に 例え牧師からであっても
一度神様にその事柄を預けて
神様から受け取り直すようにすると
邪魔が入らなくなったので

敵からの分取り品であったとしても
神様から受け取りたいなら
一度神様にお渡しして
神様から受け取り直させてもらおう

と思い その様に神様に祈りました

兎に角 今までスルーしてしまっていた
細かい霊的な部分に意識を向けはじめると
何が問題で どう祈ればいいのか
細かく気付くようになりました

その様にして祈っていると
神様がすぐに答えを現してくださり

今まで どう対処すればいいか
わからなかったような出来事にも
神様が介入してくださるようになりました

その中で りゅうくんが神様に祈っても
何も聞こえないと言う時の祈り方に
問題があることも示されました

りゅうくんは 失敗するのが嫌だ
という動機で 正解は何ですかという
祈り方をしていたのです

そんな祈り方をしていたら
占いの霊にやられてしまいます

動機はあらゆる余計なものを取り除いた
子どものように素直な心であるとか
偽善ではない真の愛である必要があり

思惑や打算や自己義や
自己正当化のために祈れば
簡単に敵の嘘が入ってきます

先日 霊的混乱を持ち込んだ人も
本人の思い込みが強く出た時に
本人が神様から受け取ったことと
真逆のことを突然言い出しました

その時に神様が どうして私が
その様な人から話しかけられて
嫌な思いをするのかを
教えてくれたと同時に

過去に何人も出会った 神様を語って
自分が言いたいことを言う人たちの
背後にいる悪魔の嘘を
掴んでいたことを指摘され
それを手放すよう促されました

その解放のきっかけとなったのは
りゅうくんでした

ある預言者の集まりで 突然
お前たちはお金を集めるだけで
施すべき人たちがいたのに
施さなかった と騒ぎはじめてしまい

進行役が 預言の霊は預言者に従うのだから
それが預言の霊なら自制出来るはず

と声をかけたのだけど止まらなかったので
悪魔にやられているという判断で
その人には退場してもらったそうです

しかしその後 残った全員で
その人が言ったことについて
やるべきだったことに鈍感で
気が付かずにスルーしていたなら
悔い改め これからはやるべきことを
きちんとやれるようにという
祈りをしたのだそうです

退場させられた人は恐らく
不満と怒りを持っていたために
悪魔に利用されてしまったのだろうと
補足されていたそうですが

霊的混乱を持ち込んだ人には
退場してもらう必要があります

ですが 悪魔にやられていた人の
発言だからと内容まで無視をするなら
折角の悔い改めの機会を見落としてしまう

かと言って悪霊に憑かれた人の言うことを
そのまま聞いてしまうと
悪魔の支配下に入ってしまうので
悪魔に憑かれた人を退場させた上で
悔い改めの祈りをする必要があるのです

またこの件を通して 悪魔にとりつかれた
発言をしたからといって
偽預言者だとかいうことでもない
ということもわかりました

偽預言者は動機自体が支配ですが
この人は怒りにつけこまれたという
感じでかかれていました

実は今までの私は 悪魔にやられた人が
言うことは一切聞いてはいけないと
100%耳を閉ざしてしまっていましたし

動機が支配である場合も同じく
どんなに必要なことでも100%
シャットダウンしていたのです

ですがその中には神様に対して
悔い改めて欲しかったことが
混ざっていたことがわかりました

勿論 その人には退場して貰った上でです

敵がこちらを支配下に置こうとする
嘘については応じてはいけないのですが
私はその 悪い目的の方にしか
目を向けていなかったのです

支配という悪意とは別に神様の御心があると
見分けられるだけの霊的な繊細さ
切り分けることが求められているのだと
今回の件で気が付きました

以前は示されず 今示されるということは
今なら出来るということですが
言われるまでそこまで意識して見分けようと
思ったことがなかったことに気付きました

重要なことなので重ねて言いますが
悪魔の発言に乗っかる形では
悔い改めを言ってはいけません

悪魔には退場してもらった上で
神様に悔い改める必要があります

ダビデに悪言雑言を吐いていた人に
部下たちが怒りを表した時に
ダビデが 神が言われせているのかも
しれないのだからと制しましたが
かと言ってその人を 神様の声を
伝えてくれる人だと招き入れたりは
しないのです そこは注意が必要です

悪魔に憑かれた人は場を支配しようとしますが
それには乗らずに悔い改める必要があるのです

またもうひとつ これは
クリスチャンになった時から
ずっと思い巡らしていたことですが

イスカリオテのユダや
イエスさまの服をくじ引きしたことが
ご計画ではあるけど神様がなさったことではない

ということがどういうことなのか
それが今回の件でやっとわかりました

悔い改めるにも時がある
正にその通りなのですが

人が悪霊に憑かれて発言することや
自己義でもって神の子を殺すに至るまで
悔い改めさせて貰えないことも
ご計画のうちなんだ ということです

また 神様の遣いが誰も彼も
愛に満たされているとは限らない
ということも感じました

旧約聖書で言えばヨナがその人でした
ニネベを救うために遣わされましたが
ニネベのことはむしろ滅びるべきと
思っていた人だった

神様も ヨナにニネベを愛する心は
与えてくださらずに
嵐に遭遇し 神に反抗していることを
自ら告白して海に投げ込まれ
魚に運ばれてニネベに着いたのです

ニネベが救われた後も態度は悪く
神様のなさることに悪態をつきますが

神様は ご計画は成し遂げられたし
ご自身の心を知らされる中でヨナは
降参するしかないのです

神様がご自身を現した後にヨナが
どういう態度でどういう生き方をしたか
聖書には書かれていませんが

ご計画の中には 神様に反抗する人や
悪魔の声に誘惑される人の
行動も折り込み済みではあるものの

神様が人を操ることは決してなく
人の自由意思で神に反抗した責任は
その人に返るのです

人の態度や心からは
何が神様のご計画かなんてわからないし

必ずしも愛を持つ者が
神様の言葉を運んでくるとは限らないし

神様のご計画を実行しているからといって
神様の愛や恵みの内に歩んでいるとも
限らないのだ ということです

混乱を招いた人は
神様の愛を離れて自分の愛を
語り出した時に その人の人生を
壊している悪霊の影響を
ばら蒔きはじめました

その人が騙されている通りに
悪霊の言葉を語り出したのです

神様はその人に 一度
あなたが勝手に思い込んでいるだけだから
悔い改めなさいと語られたそうですが
自分が愛だと思っている言葉で
それを壊していました

神様は 二度は語られないので
その人がそれに気付くには
物凄い時間を要するだろうと思いました

もしその人の嘘に従う人が現れたら
その人の背後の霊の影響は増大するので
その人が本当に神様に愛されているなら
その人は孤立し続けることになるでしょう

ですが 私は私で なぜそういう人に
嫌な思いをさせられたのかを
自分の内に探す必要があります

そういう人た呼応してしまう
霊的な嘘を掴んでいるので
それを悔い改めて手放さない限り また
同じような嫌な思いをすることになります

愛があれば何でもいいということはない
でも悪魔に憑かれている人の言うことだからと
全面的に無視するものでもない

神様のご計画に歩んでいても
神様の御心に歩んでいるとは限らない

愛がない人が神様の御思いを伝え
救いをもたらすことだってある

以前なら 間違えなく混乱したであろう
これらのことを しっかり見据えて
次に進む必要があるのだと感じました

私は長年 自分が受け取るべきものを
拒否してきてしまったけど
神様はきちんと受け取らせたい

神様は受け取らせたいけど
それが全部神様からの恵みでもない

敵からの分取り品もあり
分取り品に対する正しい態度が
あるんだと教えて貰ったわけですが

以前の私なら そんな面倒なの
嫌だから神様からの恵みだけがいい
と間違えなく思っていましたが

もう それで許される時期は
終わったんだなと思いました

神様から示されていて
受け入れ難かったことを
受け入れることを決めた日に

神様は たくさんの「3」という数字を
見せてくださり 新しい季節に
入ったことを感じました

今回の件は この世において
地を勝ち取っていくためには
避けて通れない学びだったと感じました

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