神様に聞き従わない人の混乱を打ち破る

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実は数日前のあるQT箇所で どうしても
突っかかってしまい前に進めなくなる
ということがあったのですが 今日になり
やっとそこの啓示を受け取ることが出来ました

それは 例えて言うなら雇われ羊飼いは
狼が来ると真っ先に逃げてしまうという
状況についての啓示でした

これは私の幼い頃からの怒りの根なのですが
教師や保護者といわれる立場の人が
自分の保身を考えて 本来守るべきものを
危険に晒すということに対して
物凄く強い怒りの感情があったのです

社会に出てしまうと自己責任という考えが
中心になるので 大人になってからそれについて
憤りを感じることもあまりなかったのですが

正直言うと その怒りがあまりにも強すぎて
心当たりがある人は私の前にいることが出来ない
という程に 強い怒りを持っている気がします

クリスチャンになってから霊的カバーの重要性を学び
それを霊的に理解するようになってからは
この世の力が(教会の中で)イエスさまにある姿勢を
馬鹿にするということを何度も目の当たりにしました

今思い返すと 怒りがある故にそれを
見せられたのだろうなぁと思いますが

「聖なる憤り」という表現があり
神様の憤りを思いとして与えられる
ということがあるらしいのです

この世にとってはイエスさまの教えというのは
愚かに映るものだということは
聖書にも書かれている通りで
いくつかのパターンがありますが その1つは

イエスさまは罪を犯さなかったのに
全ての人の罪を背負って十字架にかかられましたが
イザヤ書には その様子を見て人々は
イエスさまはイエスさま自身の罪により
十字架につけられたと思った

という表現に現されていると思います

どんなに人のためにやることでも人の目には
愚かにうつるというのはこういう面もあるのです

例え 人に非難されるようなことであっても
神様の示されたことであるなら
必ず良い実を結び また神様からの報いがあります

ですが 敵は巧妙にそれがわからなくなるように
仕向けてくることがあり 霊的混乱にある人と話すと
こっちにまで混乱が来てしまうことがあります

(ですから議論はしないべきだという意見に
私は全力で賛成をします)

本当は神様からの声を聞いているのに
それを受け入れるのが嫌という人と話をすると
その混乱は攻撃としてこちらにやって来ます

それが冒頭の怒りの話と繋がるのですが

神様から示されているのに向き合わない
という姿勢に対する怒りというのが
結局は 権威者から引き離そうとする
(私に対する)霊的な攻撃だということなのです

今日 神様がその件について 自分で戦わずに
わたしに委ねなさい と語られるのと同時に
私がやらなければいけないとりなしについて
詳細な祈り方を示してくださいました

それは 神様に聞き従わない人の
聞き従えない原因を打ち破るという祈りです

こっちに来たのを打ち砕くという後手後手の
戦い方は嫌だなと前々から思っていたのですが
先に混乱にある人の背後の問題に打ち破りを
宣言してしまえば良い という単純な問題だったのです

QTを止めていた攻撃というのが
その祈りを理解することへの妨げだったようです

神様が解決と希望を与えてくださったので
この問題は近く打ち破りを見ることになるはずなので
それを見ることを楽しみにしたいと思います♥️

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