嫌なものを嫌だと声に出して言う

先週半ばぐらいからずっと
食事が出来ない時もある程に
胃の調子が悪いのですが

メンテナンスをするにつれて
根にあるものが何かという
確信に迫りつつあることを感じます

それは 私が私らしく生きることを
邪魔するものの正体でもあると感じます

2ヶ月程前に とある人から
言いたいことを好き勝手言う人には
自分も好き勝手なことを言うと
コミュニケーションが上手くいくよ
というアドバイスを貰ったのですが

りゅうくんと結婚する時でさえ
神様から どうしてほしいのかは
包み隠さず言うように言われて
えー と思ったのに ましてや
仕事の面で意識合わせが出来ない人に
本音で話す気にはとてもなれない

というより はっきり言って
「嫌だ」と思いました

何故嫌なのか というのが
問題だったりするのですが
(それは薄々気付いているので
根にある怒りを手放せるように
お祈り中ではあるのですが)

それはそれとして 嫌なことには嫌だと
はっきり言わなければならないという
霊的な法則があるのも確かです

特に悪魔というのは こちらが
何も言わなければ勝手に契約を
結んでしまうことがあるので

嫌なものは嫌と声に出して
はっきりと言わなければならない
というのは霊的な意味でも正しいのです

とは言え あれも嫌 これも嫌と
言っていたら言っている方が
嫌な気分になってしまいます

なので 出来れば言いたくないわけですが

しかしつい先日何となく 道端に点在する
偶像を奉る祠のようなものに対して
いつもだったら不快に感じて
背後の霊を縛る祈りをするだけなのに

「これがここにあるのはなんか嫌だ」

と声に出して言うと その瞬間
悪いものが私の内から
出ていくことを感じました

あれ?と思って 思い付く限り
目につく限りの「嫌なもの」に対して
私はこれが嫌だ と声に出して言うと
身体のあちこちの悪いものが
出ていくことを感じたのです

嫌なものを嫌だと言うことで
自分の内から悪いものを追い出せるのか!

と大変驚きました

当然ながら 私はその対象に向かって
嫌だと言ったわけではありません

ですが 声に出して言うことで
彼らは私の内に留まれなくなる
ということだと思いますが

その時 イエスさまを目の前にした盲人が
わたしにどうしてほしいのか と言われて
目を見えるようにして欲しいと
声に出す必要があったことが
思い起こされました

今まで 祠のようなものを見れば
背後の霊を縛る祈りをしたり
それを奉っている人のために
とりなしの祈りをしたりもしていました

ですが ある時期まではその祈りが
聞かれていたのを感じていましたが
最近 あまり聞かれないと感じていたのです

なので私にとって今は 祈ることではなく
声に出してどうして欲しいかを
きちんと言う時なのか と思いました

とは言え 人に対してあれやこれや
言うのはやはり気分が悪いものです

とは言いつつも 実はここ数ヶ月
嫌なことをはっきり言うことで
物事が好転するということを
何度も何度も体験しています

慣れるまでなのかなぁと
若干頭を抱えつつではありますが
それであれば 早く慣れられるよう
どうかお祈りをお願いします(涙

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