今日 職場で新聞の取り置きをしていると
1つのニュースが目に入ってきました
ある法整備についての話題だったのですが
以前 その件についての法がないことで
解決を模索しようにも手がないことについて
大変心を痛めていたことだったことが思い起こされました
今日 職場で新聞の取り置きをしていると
1つのニュースが目に入ってきました
ある法整備についての話題だったのですが
以前 その件についての法がないことで
解決を模索しようにも手がないことについて
大変心を痛めていたことだったことが思い起こされました
クリスチャンになる前からの話ですが
自分がどのように働いてどのように
収入を得ることと向き合っていけばいいのか
またクリスチャンになってからはそれに加えて
自分の賜物をどこでどう生かすのかということも含め
かなり長い間 模索というか祈り求めていたのですが
最近それについて神様からの答えを頂きつつあります
昨日 霊的ごたごたがあったと書きましたが
りゅうくんに 昨日の夢の話をして
今や枠だけになった私の古い家のビジョンが
不要なものなら完全に焼き払われるように
祈ってほしいとお願いをしました
新しいことをやるにあたり
私の中に 恐れていることが一つありました
それは 幼い頃に敵から幾度となく刷り込まれた
私の賜物を用いさせまいとする嘘の恐れでした
昨日 攻撃があったことで自分自身の
弱い部分と それがどの様な形で
りゅうくんに支えられているかを
はっきりと自覚することが出来たためか
(=土台が明確になったためか)
今日は自分のやるべきことに
注力したいということに
物凄く思いが与えられました
素晴らしいことが起こる前には
敵からの攻撃も多くなるので
意味もなく恐れが入ってきます
恐れる理由があるならそこを踏み台にして
恐れが入ってくるのですが
恐れる理由がないので 意味のない
恐れや怒り 疑いなどが投げ込まれて来るのです
昨日 感情の解放があったことを書きましたが
どうして感情が封じ込まれてしまっていたかと言えば
その感情を感じるのが嫌だったからであり
感じたくないので他のことに置き換えてしまい
封じ込められてしまうのです
その「置き換え」を悔い改めて
また自分の感情と向き合う覚悟を決めたから
感情の解放が起こるわけですが
それは 過去に感じることを避けてしまった感情を
味わわなければいけないという意味でもあります
今日は 朝から感情の解放があったのですが
りゅうくんが書く物語の出来事が
そのまま自分の内面に起きていました
今までは 私が何かを体験した後に
りゅうくんが書いた物語が
答え合わせのように追って来ましたが
今回は りゅうくんが書いた物語に
私が引っ張られるような感じで
私の感覚で言うとやっと「正常」な
現れになってきたと感じました