聖書にある教会の姿

昨日の午後と今日の午前・午後は
「使徒的教会の台頭」の著者の一人
ロバート・ハイドラー師による講義で

そもそもで 今の「牧師がいて信徒がいて
牧師一人がケアをする形」というのは
ローマがキリスト教を国教とした時に
ミトラ教をベースにして ローマが教会を
管理しやすいように作った形であり
全く聖書的ではないというお話でした

実際 聖書に「牧師(たち)」という単語は
1回しか出て来ていません

続きを読む

神様に立たせて頂く

今日は 新しい素晴らしいことがあったのですが

最初は上手く出来たのに それを壊されてしまい
2度目に上手く出来なかったということがあり

これも過去に何度も経験している
パターンとなってしまっていることから
どうにかその束縛を打ち破りたいと思いました

続きを読む

子としての喜び

母の家にお友達と母を迎えに行く道中で
りゅうくんが 善悪を知る実を食べたことは罪なのに
何故聖書には知恵知識や分別を得ることが
良いことだと書かれているのだろう
というニュアンスのことを言いました

続きを読む

蛇を踏みつける権威

昨日 自分の思い違いとやるべきことが
わかりはしたものの そこに至るまでに
敵にやられてしまった領域を取り戻すことも
真剣にやっていかなければなりません

にも拘らず りゅうくんが自分の欲を選ぶと
朝っぱらから確信を持って言い放ったので
物凄いびっくりしました

続きを読む

映画「ベン・ハー」

(若干のネタばれがありますのでご了承下さい)

今日と明日はりゅうくんが珍しく2連休でしたが
初日の今日はりゅうくんがなかなか起きなかったので
(日頃寝不足気味なのでこればかりは仕方なく)
起きるまではいつも通り 家事や片付けをしていました

続きを読む

神様の義

私(たち)が義に生きる と言うとき
当然 神様の義に生きるという意味ですが

では神様の義とは何か?と考える時に
もし律法を守ることが義と考えるなら
それは広義で間違えていることになることが
聖書から読み解くことが出来ます

続きを読む