イエスさまと一緒に遊ぶ

今週の週報です

先週 指摘を受けた「神様が作っていない
優しさや慈悲深さ」というのが
本当に自分の人生を壊していたんだな
ということを実感する時となりました

すぐにわかったのは これは
恐怖や脅迫により作ってしまった
嘘の人格だなぁということでした

気遣いをするふりをすることで
攻撃から身を守る癖がついていて
それが先に出てしまうのです

今までは それで嫌な思いをしても
やっちゃったものは仕方ないな
と思ってスルーしていたのですが

これが敵対するもののために作ってしまった
余計なものなのか!と思ったら

そんなものを人に対して
ぶつけてしまったのか と
物凄い凹むようになってしまいました

更に言うと 周囲の人から嫌な思いを
させられる的外れな感じというのが
正にこれと同じものだと感じたので

なるほど 他人のそういうものを
引き出してしまう原因は自分の内に
あったのだと凄く納得がいきました

ですがその様に凹んでいると 神様から

この人格を封じ込めることが出来たら
私は物凄い幸せになる という
強い確信と希望が与えられました

自分が幸せになる というイメージは
今まで一度も持ったことがなかったし
望んだこともなかったことなので

これが神様が私に与えたかった
希望なのか と思いました

その後は また凹むようなことが
起きてしまっても 凹まないように
踏み留まり 神様の希望に思いを
切り替えることが出来ました

ひとつ封じるとまた違うところ と
まるでもぐら叩きみたいな感じですが
いちいち潰していけばいつか
終わりが来るだろうと思いました

そんな最中に 先日お話させて頂いた
姉妹から その後どうですか?と
メッセージがあったのですが

その直後に この日記を読んでくれている
という知らない方からメールが入りました

そのメールの内容は 今正に私が
自分の内で格闘している「余計な自分」に
振り回されてしまっている内容でした

本人は返信不要と書いているのだけど
どうしようかな と思いました

自分の悪い面が出てしまいそうだから
返信は止めておいた方がいいんじゃないかな
とも思いました

ですが折角そのタイミングで
姉妹からメッセージが来ていたので
これは自分に頼らず聞くべきだと思い
姉妹に相談をしてみました

すると 具体的にこういうことを
返信するといいよ と教えてくださいました

その後に りゅうくんにも相談すると
こんなビジョンを受け取ってくれました

子どもの姿のイエスさまが
積み木で遊んでいる

澄子はそれを見て この様子を
描きとめなければ と紙と鉛筆を出して
描こうとするのだけど

イエスさまが そうじゃないよ
こっちに来て一緒に遊ぼう
と言っている

だから今はイエスさまと一緒に遊ぶ時だよ
ということであるわけですが

それを聞いた時に 昔絵を描いている時に
愛の切り売りをしている という
とても苦しい感じがしていたのを
思い出しました

本当は 相手と一緒に過ごすべき時間を
絵に描いて相手に渡してそれで
関係を終わりにしてしまっていたのだと
深く実感をしました

預言の絵というのは
その絵を見た人に 癒しや解放が
起きることを祈りながら描きますが

私の場合 これから神様と一緒に
何かをやるべきなのに それをやらずに
絵にしてしまっていたのだとわかりました

絵を描きなさい とは示されていましたが
私があまりそこに自分の時間を
注ぐ気になれなかった理由は
私の内で 絵を描くポイントが
ずれていたからだと思いました

遊ぶべきところでは遊ぶ必要があります

しかしりゅうくんと婚約した頃
5年も前からずっと神様から
遊ぼう と言われ続けているのに
未だに上手く遊べていないのか

と思うと りゅうくんが
物語を書きなさいと言われ続けているのに
未だにきちんと書けないのも大差ない
というより全く同じなんだろうなと思いました

ともあれ そのメールに対しては
アドバイス通りに 祈りながら
示されたことをお返ししました

その文章を描くことが
イエスさまと一緒に積み木で遊ぶことになる

というのがどういうことなのか
まだちょっと感覚的にわからないのですが

一緒に遊ぼうと誘われているからには
楽しいことなんだろうと思いつつ
その感覚が理解出来るようになることを
祈り求めたいと思いました

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