神様が創られた自分として生きる

今週の週報です

いきなり結論から書いてしまいますが
今週は 新たに祈りの課題を与えられました

それは「神様が創られたままの自分というものが
どういうものであるのかを知る」ということです

私は幼い頃から 必要を満たして貰えず
それであれば自分で満たすからいい と
自分で何でも取りに行ってしまうという
癖がついてしまっており

必要なものを手に入れるためには
どうすればいいか と考えて
自分を変えることを楽しんでしまい

本来 何も努力をしなくても
得られるものがあったのに
それに全く価値を見出ださないどころか
疎ましいものと思って生きてきました

何故疎ましいのかと言えば それらは
良いものと悪いものがセットになっており
悪いものを押し付けられているとしか
感じなかったからです

RPGゲームに 呪いのアイテム
というものがよく存在しますが正にそれで

凄く強くなるけど呪いも背負う
というものを受け取るぐらいなら
自分でコツコツやります という
生き方をしてきたわけです

が クリスチャンになってからは
その「呪いのアイテム」こそが
私の受ける分なんだということ

そしてその呪いは全てイエスさまが
引き受けてくださるんだということを
ひしひしと実感させられています

私としては 嫌だーと思って
避けていた領域に向かうことになるので
辛い としか言いようがなく

しかも敵は私がそれを手に入れることを
何としても阻止したいわけですから
「敵に同意をしている人が
全力で邪魔をしてきます」

強調したいことなのでカッコ付けにしましたが
具体的に言えば 心に偶像を持つ人は
ほぼ間違えなく私に突っかかって来ます

それは ある側面では私が
神様の御恵みに対する態度が
悪いためだ というものがあります

嫌だーと思っているから
そこが敵の付け入る隙になっているのです

ところが私にはイエスさまがいます

イエスさまは私の罪を全て
背負ってくださったので
私はその背後の霊に対して
踏み付ける権威を行使出来るのです

しかも 最近気付いたのですが
私がその権威を行使しようと思わずとも
神様に 彼らを踏みつけてくださいと
願い求めるだけで良いのですが

人が敵に同意をしている場合
敵が神様に踏まれれば
その人は 恥を見ることになります

本音を言うと(これは私の甘さなのですが)
人が神様に反抗的であるという理由で
恥を見るのことを見るのは好きではありません

しかしその人にとっては
敵に同意を続けるよりも恥を見て
神様の御思いを知ることの方が
益になるという意味で
良いことが起きているのだから
喜ぶべきだ と詩編を通して
示されてはいるのですが

そんなの素直に喜べないよ と
思っていたのです

が 最近その思いが変えられつつあります

以前のような 見るの嫌 ではなく
まあ仕方がないね ぐらいになりました

要するに慣れたということですが
不快な状況がいつまで続くのかと言えば
煩わしいと感じなくなるまで という
部類のものだったのか と思いました

ですが 最近QTを通して神様が
私が葛藤したことや 行ったことに対して
神様は報いてくださる方であるということを
示されて 驚くことがありました

自分の弱さ 甘さの故に神様の示しに
葛藤しているだけだというのに
それに報いてくださるって
どういうことかと思ったのですが

これこそが神様と自分という
一対一の関係を持つことが
どれ程に素晴らしいことであるかという
理由のひとつだと感じました

神様が私を創られました
ですから神様は 私がどんな面に
弱さがあり 自然なままに生きるなら
どの様な反応をするかをご存知です

しかし神様への愛の故に どの様に
思考し行動をするかをご覧になって
それをよしとしてくださるのです

その中で 特に感謝だなぁと
思ったことが2つありました

ひとつは

あなたは人の成長の妨げになるものを
取り除いたから あなたの成長を
妨げるものを取り除く

というものと

神様が創られたままの自分を
この世が否定したとしても
自分本来の姿であることに
自信を持ちなさい

わたしが創ったものを
否定するものとわたしは敵対する

というものでした

この世 というのは
悪魔により創られた世界が
永遠に続くと思っている人たちのことで
悪魔の商売により生活したり
私腹を肥やしたりしている人たちのことです

終わりの日には全て無に還る
空虚なものを頼りにしている人たちは
神様が創られたままの私を否定するが
神様は 神様が創られたものを
否定するものに敵対すると
仰有られたのです

それを聞いたとき 物凄く
大きな平安がありました

どうしてこんなにも 願いが叶うのか
思い通りになるのかと思っていましたが

神様の描く美しいビジョンに
同意をして それが為ることを
願う者というのは本当に
この世 悪魔の支配から解放されて
自由なんだということを深く実感しました

そして神様は 最後に

あなたは頑張らなくていいし
余計なことも考えなくていい
ただ本来のあなたとして生きることに
勇気を持ちなさい

と示されました

それで冒頭に書いた「結論」になるのですが

この世で身に付けてしまった
余計なものを全部削ぎ落として
神様が創られた本来の自分というのは
どういうもので その自分が
神様と共にやるべき仕事というのは
一体何なのだろう というのを知って
そこにきちんと入っていくことを
真剣に祈り求める時が来たんだな

ということを感じました

東京を出る頃に感じていた
ワクワクする感覚が与えられ
本当に感謝だな と思いました

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