十字架の恵み

3週間ぶりの更新となってしまいましたが
受難週~イースター そして今週にかけて
(世の中的にもそうですが)
本当に色々なことがありました

私たちが今勤める会社の主な事業は
逢ってサービスを提供するものですが
その中でも 飲食店への影響が
真っ先に出始めました

テイクアウトの準備自体は
一ヶ月ぐらい前からしていましたが
最優先でやって欲しいと言われて
撮影とLPの制作をすることになりました

つい先日 カメラマンに依頼をして
物撮りのレクチャーを受けたばかりですが

新型コロナの影響で社外の人を
招きにくくなってしまったので
そうなる前に教えて貰っておいて
本当に良かったと思いました

料理の撮影について念のため
ネットでも情報を集めたのですが

りゅうくんが 料理の撮影には
自然光を逆光で使うという記事を
見付けて 試してみたいと言います

しかし店舗は西側にしか窓がないので
早朝に自然光の逆光は無理だと思うよ と
段ボールに白い紙を貼る簡易な
ライトボックスとレフ板をチームの人に
お願いして作っておいて貰いました

当日 お店に行くとやはり朝でも
かなり暗かったのですが
りゅうくんは なんとか自然光で
撮れないかと場所を探しはじめました

いやどう見ても無理だよ と
ライトボックスと照明を設置し
カメラを設置し始めたのですが

りゅうくんがカメラを触りたがるので
私がやるから と退いて貰いました

本当は りゅうくんを始め若い子に
撮影を任せたい気持ちもあったのですが
光について全くわかっていない というか
状況を見ても自分がやりたいことを優先して
判断が正確に出来ないのでは
任せられないと思ったのです

この日は 長年建築や紙の現場で
仕事をしてきたデザイナーの男性もいて
お弁当の配置や角度などについては
全て彼がやってくれたので こちらは
光の加減を見るだけで良く
とても助かりました

とは言え勿論 指示通りに撮れたのは
事前にプロのカメラマンから
技術を教えて貰っていたり
絞り 感度 シャッタースピードについて
きちんと学んでいたからです

デザイナーの彼に言わせれば
レイアウトの指示は出せるけど
自分に撮るのは無理だ となり
餅は餅屋だという話になります

実は母が若い頃 親戚のプロカメラマンの
アシスタントをしていたこともあり
家には古い一眼レフがあったのですが
それを高校生になったときに譲ってもらい
写真を撮りまくっていた時期がありました

私は(色を扱うのは得意なのですが)
光をモノクロで表現することがとても苦手で
光を理解したいと思ってモノクロ写真を
物凄い大量に撮影していたのです

当時はまだフイルムでしたから
お小遣いの大半を注ぎ込んでいました

また結婚前に レシピブログのために
照明機材もプロ用のものを買っていたので
なんで個人宅にこんなものがあるんだと
突っ込みを入れられていたのですが

かと言って趣味という程にのめり込むでもなく
仕事にしたいなどとは思ったこともなく
ただ淡々と 必要だと思ったことを
やっていただけなのですが

多分その「必要だと思う」レベルが
高かったのだろうと思います

設定を変えて撮った写真について
違いと利用シーンについて話をしていると
デザイナーが その違いに気付けるのは
凄いことだよ と言うので
高校生の時に数を撮っていたので
目が養われていたのだろう と思いました

物撮りは 一度位置と設定を決めたら
新しいものを置いたときに
微調整をするだけになります

どんどんスピードが上がっていくので
そういうのも含めて 楽しいなぁと言うと
普段の仕事をしているときより
楽しそうだよ と言われました

その時に 神様が私にこれを
やらせてくださっているのだと感じました

指摘された通り 仕事をしていて
「楽しい」と思うことはなかったからです

勿論 結果が出れば嬉しいし
完成すれば達成感もありますが
普段の仕事はどちらかというと
「他に出来る人がいないから」という
感じでやっていることが多く
情熱なら他の人の方があると感じます

ですが写真については確かに
自分に熱意があることを感じました

自分がそれを好きだという自覚もなく
取り戻したいと思ったわけでもないですが
しかし神様は 私が熱意をもって
楽しんでやっていたことを用いてくださった

取り戻したいと思ったわけでもないのに
取り戻すべきものとして与えてくださり

それを若い子達に伝えていくんだな
というイメージがはっきり掴めました

ちなみにりゅうくんは 撮影中
スマホで動画を撮っていたようで
夜になり その動画を見せてくれました

撮ったのを繋げただけと言いますが
とても面白い 愛のある
良い動画になっていました

りゅうくんは人を見る目が素直なので
物撮りをするよりも人を撮る方がいいと
思いましたし つい先日りゅうくんが
QTを通して あなたはわたしの目だと
示されていたことが思い起こされました

また それを見せてくれながら

朝 本当は自分が撮りたかったけど
前日に 澄子が「任せてもらえないのは
それなりの理由がある」と言っていたのは
この事だ とわかった

凄い悔しかったけど 僕は
自分がやってみたいことを試したい気持ちが
前に出すぎて 仕事の目的を忘れていた

それに みんなの動画を撮っているうちに
これで良かったと思えるようになった

と 言ってくれました

りゅうくんは ネットで何かを調べては
やってみたい 試してみたいと言って
自分が与えられた仕事を置き去りにすることが
物凄く多かったので 撮影の時間が
そこを素直に悔い改める時となったのは
本当に神様の為せるわざだと思いましたが

よくよく考えると この日は
イースター前の金曜日 イエスさまが
十字架で亡くなられた日でした

映画ベン・ハーの中で主人公が
ずっと復讐に燃えていて イエスさまに
逢っても 御言葉を教えられても
その心は変わらなかったのに

イエスさまが十字架で亡くなられた瞬間
復讐心が消えてしまった というシーンが
思い起こされました

りゅうくんはイエスさまを見るのに
聖書も読んで学んでいるのに
何で肝心なことがわからないんだろう と
ずっと本人も悩んでいたのですが

理屈じゃない ってことなんですね

新しい形で イエスさまのあがないを
体験することになったことを感謝します

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