力あるものに頼る

また2週間ぶりの更新となってしまいました

この間 神様からヨシュア記を読むように
示されたり とても辛い証とともに
神様の御心を示されたりしたのですが

一番大きな示しは 偶像崇拝をしながら
神様が言うことと大差ないじゃないかと
いう意見についての示しでした

先日 どなたの投稿だったかは忘れましたが
モーセが予防医学の父と言われている
という記事を読みました

聖書以外の古典的な本や経典に書かれている
医療的なことは どれもまじないレベルだけど
聖書に書かれていることはどれも
医学的に正しいことであることが
わかっているそうで 特にモーセを通して
人々に示された律法は 予防医学的に
大変優れた内容なのだそうです

聖書の神様が この世の全てを
創られた方であることが
よくわかる話であるわけですが

神様がいて この世の恵みがあると
感謝して受け取るなら その心の
背景には神様の霊が宿ります

しかし 自分達が発見しただとか
神様以外の霊により教えられただとか
思うものの心には 背後に盗み壊すものの
霊が宿ることになります

聖書に書いてあることと似たような
或いは同じような教えだという主張に対しても

私たちが自分の力でやったという
主張に対しても 神様は
盗んでいる と表現されるわけです

ではどう見分ければいいの という
話によくなるのですが
本物か偽物かを見分けようとする前に

それが純正品なのか 模造品なのか
という話であるということを
理解しなければ会話にならないと
突然 示されたのです

たとえ同じ教えのように見えても
神様から受け取るなら純正品であり
そこには保障もサポートもついてくるけど

模造品ならどんなに見た目が同じでも
何の保障もサポートもない
というだけの話なのです

巧妙な模造品を見分けることは不可能ですし
例えば「神は愛」ということを
敵が言ったとしてそれが真理か模造品かを
見極めることは人には不可能です

(相手が何者か知っていれば
サタンの試みにあわれたイエスさまのように
全てを否定することは可能ではありますが
相手を見分ける賜物が全ての人に
与えられているわけではありませんし
賜物を用いるには訓練が必要です)

また 人が「神は愛」と言ったとして
その背後の霊が何かを知ることも
人には不可能なのです

(一応言うと 聖霊の賜物により
見分けることは出来ますが それは
全ての人に与えられていないし
賜物があっても用いなければ
見分けられませんから
人には出来ない と表現しています)

ですが 見分ける必要など全くなくて
ただ 出所を知る必要があるだけなのです

自分が何を頼りにしているのかの
背景を知り 心を神様に向けることは
本当に大切だなぁと思いました

最近 霊的な背景が神様からでは
ないながらも とても真摯に
受け止めるべきだと
感じることがあったのですが

鵜呑みにしてしまうと破壊と混乱が
わかりやすく入り込んで来てしまうので
神様に全てをお渡しして聖めて頂き
神様から受け取りなおすというのが
本当に大切だと感じています

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