神様の御心

今週も 物凄く盛りだくさんの週でした

特に今週は 残すべきものと
捨てていくべきもの というものが
大きなテーマだったのかなと思います

実は毎年感じることなのですが
西暦の新年から 旧暦の新年に向かう
この一ヶ月間というのはいつも
その様なテーマになる気がしています

神様の方を向くと 何も既存の
文化を否定することはないという
感じなので そういうものと受け取りつつ

その背後には 日本を縛っている
霊的なものの存在があることも
感じつつではあります

しかし 自分が神様の方を向けば
その方向からのものが流れてくるので
文化を否定されない神様が
この状況を用いて何かをプラスに
してくださるのだと期待をしています

新しい方向へ行こうとする時というのは
必ず反対意見も出てくるものではありますが
その反対意見の本質を見極める必要があります

結果が大切なのではなく
心が大切であるということは
神様との向き合い方で一番深く
学んだ領域のことですが

自分自身が神様と密な関係の中で
学んだことを 神様を知らない人たちに
どの様にして伝えればいいのか
という課題を目の前にしつつ

しかしよくよく考えてみれば
どういう方向へと導くべきかという
指針がきちんとあり その方向性が
合致しているなんていうのは
そのこと自体が奇跡だよな と思いますし

それこそが 人が幸せになる
唯一の道なんだろうとも思います

人は神様により 神様の似姿に
創られたものであるわけですから
存在の土台が神様であり御国です

しかし今の世は アダムとエヴァが
罪をおかした時に神様から宣告された
判決文にが土台になっており
そこには希望がありません

ところがクリスチャンというのは
イエスさまと共に自分自身を
十字架にかけてしまった時から
アダムとエヴァの呪いに対して
死んだものとなっているのです

今週の一番の気付きはそれでした

何で因果から解放されて
神様の御恵みを受けられるのだろう?
と 不思議に思っていたのですけど

死んじゃったからなんだ!と
すとんと腑に落ちたのです

死んでいるというのはある意味
無敵だな と思いましたが
それは 神様という後ろ楯により
真実なのです

神様は 心をご覧になります
それが出来るのは神様だけですし
導くことが出来るのも神様だけであり

そして神様の関心事は 人の成長なのです

神様は 私たちを含めた地を
完全に 完璧に 素晴らしいものに
創造してくださいました

そこに必要なのは御心の現れです

御心が 天にあるように
地にも為されますように

私たち一人ひとりに為されますように

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