自然の賜物

今日は仕事をしている時間に
家にいて宿題をしていたりゅうくんが
賜物についてのある記事を
メッセージで送ってきました

賜物にもいくつか種類がありますが
今回話題になっていた賜物というのは
神様が人に対して生まれながら
全ての人にそれぞれ与えられている
いわゆる「自然の賜物」についてですが

その現れには良い面と悪い面
(長所と短所)があります

神様と共にあるなら長所が現れるのは
勿論なのですが 神様を知らなくても
健全な愛の中でその賜物を用いるなら
長所が現れます

しかし 保身や独善 欲のために
用いるなら短所が現れますし
その賜物の領域が傷付いていると
短所ばかりが目立つようになってしまいます

りゅうくんがそのメッセージを
送ってきてくれたこと自体は
全く悪いことではなかったのですが
文脈は大変よろしくないものでした

というのも 長所と短所を並べて
送ってくればいいのに 短所だけに
フォーカスして送ってきたのです

預言の賜物を持つ人は自分を裁きがち
というものを自分への戒めとして
投げてくるという特大ブーメランでした

更に 澄子の賜物もやばい と言うので
どうせこんなネガティブなことが
書いてあるんでしょ?と返すと
はい という返事と共に短所だけを
送って寄越してきました

それが ここ数日私が会社で
向き合いたくないと思いながらも
何とか向き合っていたところだったので
タイムリーな話題だと言うよりも
地雷を踏んで来られたような気分でした

言うなれば 雨漏りをしているので
応急処置でバケツを置きつつ
どうやって屋根の穴を塞げばいいのかと
頭を抱えているところに
わかった!屋根に穴があいてるんだ!と
言われたような感じです

いやそれわかってるし
だから必要が与えられるように
祈れと言ってるだろうが

としか突っ込みようがありませんでした

しかしこれはよくよく考えると
私がわかっていただけで 恐らく
りゅうくんにはわかっていなかった
事柄だったのを 文書で読んで初めて
理解したのだとは思います

そういう意味では 私が黙々と無言で
向き合っていたことにりゅうくんも
気がついたということはもしかしたら
霊の一致であったのかもしれませんが

何故ネガティブな面だけをわざわざ
クローズアップしてくるんだ
という憤りがあるわけです

(それこそが預言の賜物を持つ人の
欠点だと言えばそれまでですが)

こうやって文章にするとまるで
漫才をやっているようでしかないのですが
思いも新たに 神様助けてー!と
叫ぶしかありませんでした

また 預言の賜物の欠点がフォーカス
されたということは やはり
今週末の預言セミナーは絶対に
物凄く素晴らしいものに違いない

という思いが更に増し加わりました

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