人の管理から神様の管理へ

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今日は 職場でも(自分にとって)物凄く
大きな出来事があったのですが

それを神様に捧げ委ねる祈りをしている時に
神様から とても重要なことを語られました

職場であった出来事というのは
業務だけで言うなら単純な話で
資料作成を頼まれただけなのですが

作る資料の内容と規模が物凄く
色々な意味で重たいものだったのです

色々な意味で というのは勿論
霊的な意味も含めます
具体的に言うと その資料を読むだけで
頭が痛くなるというレベルでした

しかしこの事業は 言うなれば
その重たい霊的環境をクリーンにして
建て直すという内容でもありました

そしてそれは 過去に私がやりたいと
思いながらも人々の思いに阻まれて
出来なかった仕事でもありました

そしてこれは 神様の力なしでは
とても不可能だと思ったので
神様に委ねるお祈りをしていました

ところが その祈りをしている時に
明らかに「過去の霊的影響」具体的には
過去に私が信じてしまっていた
霊的なものが神様と私との間に
割って入ろうとするのを感じました

それは恐らく この事業の背後にいる
霊的なものでもあると思いますが
兎に角 それが割って入ろうとするので
過去に私がそれらの霊を信じてしまい
契約を結んでしまっていたことを悔い改め

イエスさまの血潮によりその契約から
あがなわれたことを感謝して
敵に 出ていけと宣言をしました

その時にふと つい先日
カルトを信じてしまっていた人を
解放した時のことを思い出しました

その人は 長い時間とお金と労力を割いて
学んできてしまったカルトの学びや
自分が信じてきたものが悪いものだったと
思いたくなくて 一所懸命
これは本当に悪いものなのか
これは間違えた教えなのかと
あれやこれやの情報をばんばん
投げてくるのですが

自分が敵の足掛かりとなってこちらに
霊的攻撃をしていることだとは
本人は気付いていないわけです

最初のひとつだけは ネットで調べて
それがカルトだという証拠を見せましたが
この人の問題は それがカルトかどうかではなく
自分がやって来たことが無駄であると
認めたくないというものだったので
質問に答え続けるのは不毛だと思いました

その時に 聖霊さまは話すべきことを
きちんと示してくださいました

知らずに犯した罪を正当化するのは止めなさい
罪は罪です その事実は変わらない

しかしその罪のあがないは
イエスさまが既にしてくださった
その罪の報酬である死は2000年前に
既にイエスさまが受けてくださったのです

洗礼を受けたとき 古い自分は死にました
イエスさまと一緒に死んだのです

罪を正当化することは
罪に生きることを求める行為であり
イエスさまのあがないを否定することです

間違えは間違えであると認めて
罪を犯していた自分をイエスさまと一緒に
十字架の上で殺し そして
今の命はイエスさまと一緒に
復活したものであることを知りなさい

この事はクリスチャンになってからでも
自分の間違えや罪に気付いた時に
何度でも行うべきことなのです

古い自分に死に 新しい命を受け入れなさい

その様に話したときに その人は
霊的な覆いが外されたのだと思いますが
自らの霊の見分けにより 自分が学んでいた
あらゆる教えが偽物だったと気付き
自らの意思でそれらを手放しました

私もクリスチャンになってすぐの頃
今まで熱心にやってきたことが全て
敵に騙されていたことだったと認めるのが
物凄く辛いことでしたが

しかし 神様は私が騙されて失ったものを
全てプラスに変えてくださると信じて
その通りになりつつあります

また 仕事についてもただ道を塞がれ
あなたは 養われるということを
理解し体験しなければいけないと語られ

自分の努力で働くことではなく
人から与えられるもので必要が満たされ
外で働くことを諦めた頃に
やっと 仕事が与えられることになり

しかしそれも 私が自分から
こんな仕事はやっていられないと
思うような状況に追い込まれていき

実は 私がやろうとしていたことは
自分がやりたいことではなく
人から頼まれてやっていたことに
過ぎなかったことに気付かされたのです

やりたいことではなかったけど
お金のために 生活のために
或いは 人から頼まれたことが
嬉しかったり 良いことのように
思われたからやっていただけで

全然 私が心からやりたくて
愛を注げることではなかったのです

愛は 神様から来るものであり
どんなに自分の思いで好きになろう
愛を注ごうと思ったところで
神様が注いでくださらなければ
愛することは出来ないのです

自分の思いで愛していても
神様という供給源がなければ
枯渇してしまうのです

多くの場合 神様から得られなければ
人から得ようとしてしまいます

しかし私はそれが大嫌いでした
自分がそれを求められることが
嫌いだったから 人に求めることも
絶対にしたくなかったのです

神様に求めて人が遣わされるなら
その人に 神様から原資が与えられるので
それは感謝して受け取ることで
何倍にも増えます

しかし人に求めれば その人から
奪うことになり 盗み壊すものの
策略に落ちることになるのです

私の悩みは 本人は無自覚であるにしろ
奪いに来る人とどうやって境界線を
引けばよいか という問題でした

その問題の解決には 私自身の内側から
人から頼まれたことを自身のこととして
受け取ってしまっていたことに気付いて
悔い改めることが必要だったのです

私が悪いものに同意をしている状態では
神様は介入が出来ないのです

ですから 気付いて悔い改めをした結果
私が過去にやりたかったことを
やらせてもらえるようになったのです

神様は 私が忘れていたような望みすら
叶えてくださる方であり それは
私に対してだけではなく 神様を慕う
全ての人に対してそうされたいのです

ですが その為には自分の内から
神様以外に同意をしている部分を
追い出さなければいけないのです

13日の日記で 今のキリスト教が
異教の土台の上にあることを書きましたが

しかし 例えやり方は間違えていても
神様のことを思ってやっていたことは
全て神様は覚えていてくださいます
憐れみもくださるし守ってもくださいます

ですが そこに神様は力を注げない
だから奇跡が起こらなくなってしまったのです

それは神様が望む教会の形ではなく
神様は 憐れみだけではなくご自身の
力をも注がれたいと思っています

神様はQTを通して 人々が掴んでいる
管理を神様に明け渡せるように
宣言しなさいと示してくださいました

私が過去 お金のため 生活のためと
掴んでしまっていた余計なものを
神様により手放させて頂けたように

或いはカルトを正当化したがった
ベビークリスチャン人が
福音を真に理解することで
自らの意思でそれを手放せて
神様に導かれる人生に入れたように

神様は 私たちを偶像の国に置かれました
それはそこから神様に立ち返るためで
地の問題の解決のために置かれたのです

クリスチャンは 神様への愛の故に
人による管理を手放し
神様による管理を受け入れて
神様の栄光の器として生き生きと
神様のご計画を喜び楽しむ時が
今 もう来たことを宣言します♥️

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