神様の水を流す

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りゅうくんに送ったメッセージに対する
反応が悪いので おかしいなと思っていると

先日 りゅうくんが神様から課題点を
示されて以来 りゅうくんが神様と
親しく交わっていないことに気付きました

それはりゅうくんが夢の中で
ナイフとフォークを同時に使うことが
出来ない小さな子がステーキを目の前に
何も出来ずにいるのを見て

美味しいよ 何で食べないの?とだけ言い
ナイフとフォークの使い方がわからないのを
理解してあげることもせず
教えてあげることもしなかったという夢です

実は最近 神様からの恵みを受け取れずに
いる人に対して 自己責任というような
意見をする人がいたのですが

りゅうくんがそれを聞いて怒ると同時に
自分にも同じ性質があるからこんなにも
怒りがわき出るのではないか?と
思った途端に神様から例え話で具体的に
わかりやすく示された というところでした

それに加えて私もりゅうくんが書いた
ある(肉の思いで書いた)文章に対して

彼がクリスチャンになるかならないか
まだ聖書も読めてなかった頃に
イエスさまの救いの素晴らしさを
家族に話したのにわかってもらえずに
悔しがっていた時のことを引き合いにして

それと同じことをやろうとしていないか?と
突っ込みを入れてしまったものですから
僕はもう何もしないし言わない と
開き直っているのだ と思い至りました

聖霊に寄らずして聖書を理解することは
出来ないのと同様に 聖霊に寄らずして
福音や真理を語ることは出来ません

聖霊を持っていない 洗礼を受けていない人や
聖霊との交わりがしっかりしていない人に
聖書のみことばから教えようとしても無駄なのです

何故そう言いきれるかというと
りゅうくんが洗礼を受ける前に
礼拝動画を見てもらい 見終わった後に
必ず感想を聞くということをしていたのですが

証だけは覚えていましたが 聖書の教えは
一切覚えていなかったので疑問に思い

世界で活躍する宣教師にお逢いし
インタビューする機会を頂いた時に
その時のことを話して尋ねてみると

それは全くその通りであり証に力がある
宣教(メッセージ)というのは
証を畳み掛けることだと
教えてくださったのです

クリスチャンも 証に力があることは
知っているはずですし そもそも聖書には
私たちはイエスさまの証人となると書いてあり
みことばを教える人になるとは書いてありません
(むしろ 多くのものが教師にならないように
その責任は重いから とは書いてあります)

ノンクリスチャンは勿論ですし
霊的に混乱しているクリスチャンや
聖霊がよくわからないクリスチャンにも
みことばで教えようとしても伝わらないのです

自分だって霊的な体験で神様を知ったのに
何故 自分の聖句に対する信仰が
霊的体験を引き寄せたかのように
勘違いしてしまうのか という問題です

新約聖書において イエスさまや使徒が
癒しや解放などの奇跡を行っている時
みことばで救いを受けた人はいません
イエスさまの御名で救われているのです

なのに何故 みことばを教えようとするのか

これは 背後に宗教の霊がいるなぁと
思いましたが それはどこから来てるのだろう?
と ふと疑問に思い 神様にその根に光が当たり
取り除かれるように祈りました

ともあれ 目の前にいるりゅうくんに対しては
聖句で説得しようとするのではなくて
その人が神様から示されるように
祈ってあげようね と言うだけにして
私自身もそれを祈り 神様に委ねたので
その件は忘れてしまっていたのですが

今日になり りゅうくんと神様の交流が
ストップしてしまっていると気付いたわけです

気付いたからには突っ込むしかないので
何でそこストップしてるの!?と
メッセージを送ると 程なく
神様から受け取った大量の文章を
送ってきてくれました

正に打てば響くといった反応でしたが
こんなに速攻で反応があったのは初めてで
りゅうくんも成長しているのだなぁと
感動する程でした

そしてその文章は 私とりゅうくんが
どの様にして神様のレーマから命を得て
前に進もうとしているかを示すものでした

まだ整備されず地の表面にあるわき水から
二人はなんとか水を得ようとするが
水は地に染み込んでしまい飲める状態ではなかった

二人のうちひとりは なんとかそこから
水を得ようと地を舐めていたが
ひとりはそのような努力はすぐに止めて
地面を堀り ため池を作ると
そこに綺麗な飲める水が貯まり
すくって飲んでみると飲める良い水だった

地を舐めていたもうひとりを呼んできて
その水を共に飲み 満たされると
地を舐め続けていたものが 持っていた道具で
水路を作り二人で畑を作りはじめた

というものでした

そうだよな 私は確かにはじめに
手で土を堀り水を飲めるようにしたけど
それを広げる道具が託されているのは
りゅうくんだ と思いました

りゅうくんが文章を書くと物事が動き
書かずにいると ストップしてしまう

その事には気付いていたのですが

それは水路を作るべき人が 昔のやり方
地を舐めることに引き戻されてしまうことで
ストップしてしまうとわかりました

そしてその 地を舐めることの延長線上に
みことばで人を説得しようとすることがあるので
地を舐める というのは聖霊に寄らず肉の力で
聖書を読むことかもしれません

この様に ビジョンで具体的に
霊的状況を見て理解出来るとすごく
わかりやすくなるので
本当に有難いなぁと思います

ともあれ りゅうくんがたくさんの
良い水を流してくれたので きっとまた
物事が動くのだろうと思います

神様が何をなさろうとしているのかに
期待をしたいと思います

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