(神様の視点による)父への感謝

今日は 自分としては物凄く大きな
気付きと解放がありました

それは自分が選ばなかった道に対する
罪悪感と そして父のことです

選ばなかった道については正直言うと
私のメンタルではとてもやっていけなかったと
今でも強く思うので 避けて正解でしたが

しかし その業界で大変な思いをしている
人の話を聞くと 自分が逃げたという
負い目を感じてしまっていたのです

ですがよく考えれば 同じ仕事をしている人でも
元気に楽しそうに仕事をしている人はいて
それは私の業界でも同じでした

単に私は自分がやっていける自信がある
業界を選んだというだけですし
どこにも問題や苦労はあるわけですから
逃げたの逃げないの思うことには
全然別の霊的な攻撃があるわけです

私の場合は 小学生の頃に大人たちから
すみちゃんはこの仕事に行くのよね と
言われ続けて育ったという経緯があり
その道を選ばないことを決めたことが
裏切った という負い目になっていたのです

念のため言うと 親戚も親も誰一人として
私がその道を選ばなかったことを
否定的に言う人はいませんでした

むしろ 自分の道を切り開いて
偉いわねぐらいで 誰も私を責めていません
なのに 罪悪感を持ち続けていたので
完成に 私が敵にやられていただけです
(或いはこれが私の弱さとも言えますが)

神様から もういい加減その負い目を
手放しなさい と示されたので
手放すことを宣言するお祈りをしました

またもうひとつは 最近のテーマだった
父のことでしたが 私が恵みを受け取る時に
父が皮肉で邪魔をしてばかりだった件について

敵がその様にして恵みを盗もうとする時に
無視をしたり 愛を説いて黙らせたりする
練習台として父がいたのだということに
突然気が付いたのです

勿論 父親として神様の愛を流すことは
してくれなかったのですが 敵が恵みを
奪いにくる時を父が実践してくれたために
どの様に対処すればいいかと世界中の
宗教や哲学を学んで たくさんの人と話し
最終的に 神様は愛だという
結論に至り父を論破出来たことは
まるで旧約聖書が私たちを罪に定めつつ
教育係としての役目を果たしたのと
同じようなことだったと感じたのです

父が生前 私たち子どもに対しては
反面教師だったから自分はこれでよかったんだ
と言っていたのがすごく不満で
父にも幸せでいて欲しかったし
きちんと家族をやりたかったと思って
反面教師という言葉に抵抗していましたが

しかし 本当に神様は父を私の訓練のため
反面教師として置いてくださっていた と
感じて 心の底から父に感謝する思いが
じわーっと暖かく涌き出てきたのです

これは自分のものではなく
神様から来たものだ と感じました

そして旧約聖書から新約聖書の時代となり
罪から恵みの時代になったように
私にとっての古い教育係だった父から
完全に卒業し イエスさまの元へと
嫁ぐ時なのだということを感じました

父の家を離れよ そうすれば祝福する

クリスチャンになった時に何度も
神様から示されて心苦しかったみことばが
やっと祝福の言葉に感じた瞬間でした

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