種を神様だけに捧げる

今日は母の用事に付き合うため
朝からまる一日出掛けていました

母の家は高崎の南端なのですが
そこから高崎駅前で食事をして
高崎のほぼ中程にある果樹園経由で
北東にあるイオンモールに行きました

高崎駅から1kmの自宅から母の家まで
20kmあるので 往復するだけでも
40km走ることにはなるのですが
今日はほぼ倍の80km弱を走りました

途中で髪を切りたいと言うので
待ち時間にQTを途中までやりましたが
母を家に送ると 夕飯を食べていってと
みんなで餃子を作って食べたので
啓示を貰うところは帰宅後になりました

しかしそのタイミングが正にその時でした
自分でQT箇所のまとめとして
何を書いたか忘れた頃にそれを見た瞬間に
長年(クリスチャンになってからずっと)
物凄くこだわって決めてきたことに
どういう意味があったのかを示されたのです

まとめを書いていた時は 全く
気付かなかったことに 時間を置いたことで
霊の目が開かれたと感じました

その思いは自分から出たものではなく
本当に 神様から与えられたもので
それが芽を出していたと知るまでに
7年もかかった ということです

勿論 本人が気付いていなかっただけで
振り返ってみると その種はとっくの昔に
芽を出して すくすく成長していたとわかります

途中 預言アートで真っ直ぐ成長する
大きな木のイメージを何度も示されたし
何人もの人から言われた私の役割について
これのことだったというのがわかりました

昨日のQTでは 種を人にあげてしまわず
きちんと育てるようにと示されたのですが
今日のQTでは それが具体的に
どういうことかを示されました

どうも 自分が神様から示されたこと以上に
人の熱意に意識を取られてしまって
神様が私にやらせたいことを少し
勘違いしてしまっていたようなのです

それが 種を人に取られるということかと
気付いたので 悔い改めて神様だけに
私の種を捧げることを誓いました

自分の役目を明確に知ることは
本当に大切だと改めて思いました

成長させてくださるのは神様です
なので私の持つ種は 神様だけに捧げます

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