神様に立たせて頂く

今日は 新しい素晴らしいことがあったのですが

最初は上手く出来たのに それを壊されてしまい
2度目に上手く出来なかったということがあり

これも過去に何度も経験している
パターンとなってしまっていることから
どうにかその束縛を打ち破りたいと思いました

そういうことが起こる理由は結構簡単で
私の中に 赦せていないことがあるからです

それは 誰からも誉められるような
良い結果を出せた時に 一番一緒に
喜んで欲しい人だけに喜んで貰えなかった
という経験が根底にあります

そして今日の素晴らしいことというのは
正に その様な良い結果の上に起きたことで
それが起きた同じ日に このパターンでの
嫌なことが起きるわけです

一番一緒に喜んで欲しい というのは
一番近くにいる身内です

しかし イエスさまが公生涯に入られてすぐに
それを止めにきたと思われる母と弟に対して

わたしの母、わたしの兄弟たちとは、
神のことばを聞いて行なう人たちです。
(ルカの福音書8章21節)

と言われていますし
マタイの福音書10章37-38には

わたしよりも父や母を愛する者は、
わたしにふさわしい者ではありません。
また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、
わたしにふさわしい者ではありません。

と書いてあります

人の顔色を伺うことなく神様の顔だけを見る
ということはいつも意識していることですが

神様の方を見るとそんな大層なことではなく
物凄いシンプルに物事をご覧になっています

複雑にしているのは人の言葉であり
言葉の束縛は真理により打ち砕かれるべきなのですが
「こんな事を言われた 酷い」というような
被害者意識があると敵に打ち勝つことは出来ないのです

イエスさまは ご自身を止めに来た家族に
わかってくれない 酷いと言って
傷付くような態度は取りませんでした

理解してもらえなくてもやるべきことはひとつで
その姿勢は後に 家族をも作り替えました

神様にかたく立つ者は
恐れる人に影響されるのではなく
恐れていた人をも立ち上がらせるような
影響力ある者であるべきなのです

そうは言っても 私が私の強さで
頑なに立とうとするなら全く力はなく
立たせてくださる方に依り頼むことでしか
私自身が立つことすらも出来ません

今日は神様が 立ちたくない言い訳をする
人達に遠慮せず また立つべき人が立たずに
いることに憤ることを止めて まずあなたが立ちなさい
と 促されていることを強く感じました

私の弱さに 神様の栄光が現れますように

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