忘れていた怒り手放す

昨日の日記に書いた通り 今日から3日間
母のお友達が来るのでエスコートをします

今日は駅に迎えに行き食事をしてから
温泉宿まで連れていくことになっていました

お友達は少食なのだが何が好きかわからないので
ビュッフェ形式のお店が良いと母が言うので
駅のホテルのビュッフェにお連れしました

そこは以前母を連れていったところですが
ファミレスに行くのと同じか安いぐらいの値段で
品質の良い素材を使った野菜中心の
お料理が頂けるので とても喜んで貰えました

また温泉まで連れていくということは
私たちも日帰り温泉に入ることが出来るわけですが
温泉に行きたい!と丁度言っていたので
食事と温泉の恵みにとても感謝をしていました

しかし母のお友達が来る時は 今までは
話の邪魔をしないようにという意味で
食事の席は別々にして貰っていたのですが

4人席しかないホテルのレストランで
予約しなければいけなかったこともあり
今回は 一緒の席で食事をすることになりました

すると案の定 母の話の中心は身内の悪口ばかりです
一般的な年配女性のお喋りが愚痴の言い合いに
なることはある程度は仕方がないですが
誰もが愚痴を楽しみにしているわけではありません

今回のお友達も 過去のことはもう忘れて
楽しく生きましょうよ と締め括ろうとするのに
全然気にしてないわよ と母は返していました

気にしていないなら言わなければいいのに
と思うのですが 気にしていないと言うのは
気にかけてやるつもりもない程に今でも
恨んでいるという意味なので困るのです

また こういう話を黙って聞いていると
背後の霊に同意したことになるのも困るのです

今日は 嫌なことをする人に目を向けるのは止めて
親切にしてくれたり励ましてくれる人だけに
目を留めなさいよ と返しておきました

聖書的に言うと 敵に同意するのを止めて
神様に同意しなさい ということです

私はその様にして言葉で返したので
(煮え切らないながらも)あまり影響を受けませんが
りゅうくんは最後までずっと黙ったままでした
(というより会話には全く参加せずでした)

その後温泉宿に行き 私たち二人は
日帰り温泉に浸かり帰って来ましたが
途中で聖めのスコールのような雨に遭遇して
本当に 今は聖めの季節だなと思いました

家に帰ると 矢張りりゅうくんの方は
黙っていた分がストレスになっていたらしく
母のあれはどうにかならないのか と言うので

母については解放を祈るしかないけど
どちらかというとこれは 私たちが
周囲に振り回されずどうあるべきか
という問題なんだよ と言いました

夕食後 りゅうくんが書斎で寝っ転がっていたので
寝室で寝ないのはそこの方が涼しいから?
と尋ねると 神様と同じ事を言う と言いながら
寝室に移動していきました

その時に 神様と同じ言葉を使っていながら
神様を近くに感じることが出来ていない と
物凄く強く感じました

また 神様は私が言い過ぎたと思うような時に
あなたは神様のイメージ通りだから自分を責めないで
と慰めてくださることが思い起こされたので

神様が私を愛するように自分を愛したいです
神様が私を愛してくださる心と同調したいです
と 切に祈りました

また神様の心をもっともっと知りたいという
慕い求める気持ちが沸き上がったので
それも 祈りました

すると 妨げの原因となっているものが
神様からいくつか示されたので
それらを手放す祈りをしました

表面的ないくつかのことを手放していくと
それら全ての根が 過去に母の愚痴について
父に責任を求めて裁いていたことだと気付きました

どうして父は母にこんなに愚痴ばかり
言わせているんだろう と軽蔑していたことが
思い起こされたので 悔い改めて
父を赦し 手放す祈りをしました

すると 今まで何となく抱いていた
男性に対する不信感が綺麗に消え去り
神様に対して 素直な気持ちで自分が
何を求めているかを現すことが出来たのです

考えてみれば 父は気に入らないことがあると
すぐに給食費を払わないぞ!と言う人でしたし
社会人になってから体調を崩した時には
稼ぎがないなら出て行けと言った人です

こんな親になんか頼っていられるか と
怒りを持って稼げる仕事を身に付けましたし
父より稼げるようになることが
若い頃の目標だったことを思い出しました

確かに こんな怒りを持っていたら
神様に素直に何かを求めることは出来ませんし
そもそもで この怒りが邪魔をして自分が
何を求めるべきかわからなくなっていたと気付きました

その事から解放して頂くことが 今回の
大きな目的だったのだと本当に感謝をしました

物凄く 肩の荷が降りた感じがしますし
何でも素直に神様に求められる思いが沸き上がり
心の距離が神様に近付いたと感じたのが
とても嬉しく思いました

天のパパは裏切らないし誠実だし
何より私たちが喜ぶのを見て喜んでくださいます

その様な親を求めたことはありませんが
求めていなくても神様はご自身のその
素晴らしいご性質を現す器として
私を選んでくださったのです

そして その様な素晴らしいご性質に
預かることは子として当然の権利なのだと
以前 神様は語ってくださいました

当然の権利の上にあぐらをかくものは
神様から鉄槌を貰うことになりますが
砕かれて人が美しくなることは神様の誉れです

しかし自分が持っている権利を軽んじる者は
天の御国では俗悪なものと評されます

親が子を躾るのは 子を愛する故であり
神様はあなたを手放さないと言ってくださいますが

神様があらかじめ備えられた恵みよりも
俗 自分の思い 我を選んで 自らの意思で
神様から離れていくことは 俗悪なのです

神様よりも自分の怒りを選ぶなんて
有り得ないと思いますが しかし今回のように
怒ったことも忘れ去っていたような
過去の怒りが邪魔をしていることもあって

忘れているものを手放すには それを
思い出す必要があり そこを通るのは嫌なことですが
しかし その先にしか恵みはないのです

イライラしている時間は大変不快でしたが
自分の中にあった 捨てるべき古い性質に
光を当てて頂き 取り去って頂けたことに
本当に 心から感謝します✨

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