神様とのずれを正す

ここ数日 ごたごたしている中
神様から示された新しい方向性は
具体的に動き始めていました

それは絵を描くだけ描いてどうするのか
ということに対する神様からの答えでした

今まで 絵にみことばを添えて
アートスキャンという 原画を忠実に取り込める
特殊なスキャニングで絵を取り込んでから
印刷物(グッズ)にして「みことばグッズ」
として販売をしていました

ですがアートスキャンはコストがかかるし
グッズにすると在庫が出来てしまうし
何より販路がないという問題がありました

唯一 東京の某クリスチャン書店で
委託販売をさせて頂いていたのですが
書店の目指すグッズの方向性と
違うことがずっと気になっており

ここでの販売を継続するのは御心なのか?
(そもそもグッズにするのは御心なのか?)
と思い巡らしているうちに
担当者さんが退職されるため
委託販売が終了になりました

正直言うと 売れれば良いのではなく
神様が届けたい人に届くことが大事なのですが
それにも関わらず 作品に込めている祈りや
神様からの示しについて 何の説明も
添えていなかったことも気になっていました

というより 絵のメッセージ性よりも
クリスチャングッズとしての手軽さを
重視してしまっていたのです

しかし 私たちに与えられている
神様の現れは「力」です

私たちが神様について語るとき
また祈りや宣言をするときの
現れというのも「力」です

そして その力は絵にではなく言葉にあります

だったらメッセージ性を隠して
作品にみことばだけを添えて展示するような
やり方は違うのでは という違和感がありましたが

しかし「みことばグッズ」としてしまったことで
その違和感を打ち破れなくなっていたのです

そんなことを思い巡らしている中で
絵を描きはじめるきっかけとなった
人の一人と再会をしました

私が絵を描こうと決意したきっかけは
今いる高崎にある教会の霊的打ち破りでしたが
しかし皮肉なことに この絵を描き始めたことで
その教会から離れることになったのです

ですが丸一年経ったタイミングで
その教会の賛美リーダーが
東京にある私たちの母教会の神学校に
入学されていたと知ったのです
(しかも本当にたまたま 私の後ろの席に
座ってくれていたからそれがわかったのです)
神様は 本当に真実な方であると思います

思いを与えてくださり 祈っていたことに
ひとつの実りを見せてくださったことに感謝します

そして一年越しで その方のために描いた
絵とみことばを渡すことが出来たのですが
そのみことばは 彼女が洗礼を受けた時に
貰った聖句であったそうです

それを聴いたときに 私自身
とても励まされましたのですが

しかし絵とみことばを渡すこと以上に
絵に込めた意味を伝えることこそが
大事だったということに気付きました

絵は現れなのですが 大切なのは
どうしてこの様な絵を描いたか という
霊的背景の説明(=解き明かし)であり

それは絵とセットにしてきちんと
お伝えしなければいけない というより
解き明かしにこそ力があるのだと気付きました

考えてみれば 私はりゅうくんの
物語に対しても解き明かしをする立場だし
私が描く絵には 物語の方向性が秘められています

私が神様から託されるものが
解き明かしであることが多いのです

私の絵は ただみことばをグッズにして
持ち歩くという趣向のものではなく
一人の人の深いところに神様が愛の確信を
与えてくださる励ましの絵なんだ
ということにやっと気が付いたのでした

であるとしたら 絵を手軽に持ち歩くための
グッズ化ということなどより
絵にきちんと解き明かしを添える方が重要です

日常使いのグッズであるよりも
折に触れて その絵の背景にある意味を
思い起こせるようなものである方が大切です

そういえば 絵を初めて描いた時に神様が
この絵は神様のイメージからずれてしまった時に
立ち返るための処方箋のようなものだと
示されたことを思い出しました

だから 今回再会した方のための絵に
添えられたみことばは 洗礼を受けた時に
与えられたみことばだったと納得しました

ともあれ思ったのは 作品の質がどうこうより
絵の色味や雰囲気と 絵に添えるメッセージを
大切にしなければいけないわけで

それであるとしたら 一枚一枚の絵にきちんと
手書きでそのメッセージを書きたいと思いました

だとしたら 絵をどのように販売するかの
方向性は 量産型のグッズでは有り得ません
そして神様からの答えは絵として販売する
というものだったのです

とは言え 原画は劣化するものですから
データを一切残すことなくただ原画を
販売してしまうのでいいのか?と思っていると

うちには小さな物撮り用の機材があるので
俯瞰撮影用の三脚があれば絵の撮影が
可能だという思いが与えられました

それに気付いた時 りゅうくんを導いていた時や
今住んでいる家をネットで見付けた時のように
聖霊さまに満たされて 喜びに溢れました

数日前に QTを通して
りゅうくんと出逢った時のように
わたしについて来なさい と語られたのは
この事だったのだと思いました

すぐに三脚と額 それから原画用の定着液を注文し
届くとすぐ試し撮りをしてみましたが
絵の再現性は多少劣りはするものの
色に関しては アートスキャンよりも原画の
雰囲気に近い色を出すことが出来ました

また解像度はそれほど高く出来ないので
グッズ制作には耐え得ませんが
ポストカードサイズで印刷をする分には
全く問題ないとわかったので 近く実家に行き
長年眠っているエプソンのプロ仕様プリンタを
持って来て印刷してみようと思っています
(使えるかどうかわかりませんが…)

ともあれ やっぱり私を通じて神様が現したい
愛の形は広く多数の人に向けたものではなく
大切な人に思いを伝えたいと強く訴えるような
熱い愛なのだろうと思いました

神様のイメージとずれいてた部分を
矯正して頂けたことに 心から感謝します

コリント人への手紙第一 14:6
ですから、兄弟たち。私があなたがたのところへ行って
異言を話すとしても、黙示や知識や預言や教えなどによって
話さないなら、あなたがたに何の益となるでしょう。

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