自分では出来ないことをやらせて頂く

13日はりゅうくんが東京で学びの機会を得て
14日は私が聖霊中心のカンファレンスに参加し
15日はりゅうくんと二人で引き続いて
聖霊中心のカンファレンスに参加しましたが

この様に 違う場所で毛色の違う機会を得ても
神様はやっぱりひとつだと思うことがありました

りゅうくんが学んできたことを 帰宅時に
ひとつだけシェアしてくれたのですが
それは「(霊的に)どんな服を着ているかは
とても重要だ」ということでした

霊の世界において 服というのは
役割や霊的な状態を現します

聖書の中で 汚れた服を神様が脱がして
祭司の服を着せてくださるという表現がありますが
汚れというのは罪を現しており
それを取り去る権威のある神様が
それを脱がした上で 権威ある祭司の服を
着せられるというのは「霊的な権威の回復」を
現しています

では今の自分は霊的にどんな服を着ているか

というのを祈りの中で神様に見せて貰おうと思うと
どうも あやふやな感じがしました

アイデンティティが定まっていない
という感じがしたのです

しかしその翌日の14日 預言的な聖会において
神様にある自分自身の身分やアイデンティティを
象徴する「花嫁のティアラ」を今 神様から
受け取りましょうというメッセージがあったのです

そのティアラにはひとつひとつに名前が刻まれており
自分のティアラは自分のためだけのただひとつで
代わるものはありません

ティアラには宝石が嵌め込まれているそうで
それが賜物を現しているようでした

そのティアラを霊的に受け取ると
自分が着る服はティアラを被った自分に
似合う色や造形のものだけを選ぶべきだ
という思いが与えられました

逆を言うと それに似合わない服は全て
捨てるべきだと感じたのです

と いうよりやった!これでどれが不要かわかる!
いらないのを捨てられる!という解放感を感じた
という表現が正しいかもしれません

服の話をした時(あやふやさを感じた時)には
中には 頂き物だからと似合わないのに
持ってしまっている服や 全く私の好みではない
服が混ざっていると感じたのです

それを「不愉快」には感じるのですが
しかしどうすればいいかわかりませんでした

ですが ティアラという基準が出来たことで
それに似合わないものは全部捨てるという
選択が出来るようになったのです

正直言うと 聖会に参加している間は
癒されたしすっきりしたけど来た理由は
それだけの為とは思えない 一体何だろう?

と 思っていたのですが まとめてみると
「神様にあるアイデンティティにかたく立ち
それに即した立ち振る舞いを出来るように
してもらう」ことが目的だったと感じます

それを 肉の理解や思いによるのではなく
神様の方法で頂けたことが本当に嬉しいです

心から感謝します♥️

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