守ることを頑張らない

今日QTを通して示されたことは
神様の与えてくださるものに
私がどの様に反応しているのか という
神様目線でのお話で それはある意味では
私が今までどの様に生きてきたかを
理解するものでもありました

また 神様が与えられるものは
受け取り扱える分だけなのだから
神様が与えようとしているものを
受け取ることを恐れないように
ということも示されました

多くの人は 神様から恵みが与えられると
その恵みをただ喜んで受け取るのですが

私はその恵みを受けるのに相応しい者として
どう振る舞いをすればいいかということを
神様に尋ね求めてくるというのです

要するに 子としての振る舞いを知らないので
恵みを置かれてもどうすれば良いかわからず
どう振る舞えば良いのか神様に尋ねるのです

神様は 人の前に呪いと祝福 命と死を置かれ
祝福を 命を選びなさいと仰有る神様です
(聖書にその様に書いてあります)

多分 私の前にはその両方があるのですが
どちらが良いものであるかはわかっていて
敵が 悪い方を取れと囁いたり
良いものを取ろうとした時に不平不満や
攻撃や嘘の言葉を言ってくるのに対して
煩い 黙れ と言うことは出来るのですが

どう受け取れば良いかについてよくわからずに
神様にいつも尋ねると示されたのです

それを聞いて 過去に受け取るということに
物凄い傷付いたことがたくさんあるなぁと
思い当たることがありました

ですが神様は それらの問題に対してではなく
私が求めたものに対して語られました

私がそれを求めたから 今の立ち位置に
相応しいものとされた というニュアンスなのですが

そういえば以前 あなたの求めるものはどれも
良いからもっと求めなさいと言われたなぁと
このレーマを読み返して思い出しました

また 敵は神様が与えようとするものの
バランスを崩すようなことを言うけど
(大き過ぎるだとか 逆に少な過ぎるだとか
もて余したり 振り回されたりして扱えないとか)
扱える分しか渡さないから気にしないように
ということを示されました

確かに私が一番心配に思うのが
与えられるものが大きすぎて高慢にならないか
ということだったので(箴言30章にあります)

間違えた聖書箇所を掴んでいるってことだな
と思い 手放すことが出来ました

また もし不安や心配があったら
自分で乗り越えようとせずに
弱いままの自分を私にさらけ出して
解決を求めなさい とも示されました

信仰で掴まなくちゃ 盗まれないようにしなくちゃ
と 頑張らなくて良いよということだと感じました

このレーマを受け取り 本当に気楽になり
肩の力が抜けた感じがして感謝しました

ずっと言われ続けていることではありますが
もっと頼り上手になりたいと思います♥️

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