蛇を踏みつける権威

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昨日 自分の思い違いとやるべきことが
わかりはしたものの そこに至るまでに
敵にやられてしまった領域を取り戻すことも
真剣にやっていかなければなりません

にも拘らず りゅうくんが自分の欲を選ぶと
朝っぱらから確信を持って言い放ったので
物凄いびっくりしました

びっくりはしたものの それを聞いたときに
自分の内に 例え死に至る選択であったとしても
それを後押ししたくなる誘惑があることに気付き

これは完全に自分の思いではなく敵の投げ込む嘘だ
と思ったのですぐに縛り上げる祈りをすると
その感情はすぐに消え去りました

すると 子どもの頃にある人が
例え滅びに向かうとしても本人が好きでやってるなら
本人はそれで幸せだから仕方ないと言っていたのを聞き

それってどうなの!?と長年悩み続けていたのが
綺麗さっぱり迷いなく 神様による幸せを掴むこと以外に
良いことなど何一つないと思えるようになりました

まずは自分のこと と決めた直後にこの様に
自分の内にあった霊的戦いに勝利出来たことを
神様に感謝します

自分の問題は片付いたので 次はりゅうくんです

本人は失敗をゼロにしてもらうことを
成功体験だと勘違いして また失敗を選ぶのが
御心だと思ってしまっているようなので

それを再びやっても全く同じ結果しか得られず
その間 神様がやって欲しいと思っていることが
全部滞ることになるので呪いに入ることになると
明確に伝えました

神様から必要が与えられるという約束には条件があり
神様の義に歩むなら なのです

ですから神様がこれをして欲しいと示されているのに
それに背を向ければアダムの呪いが降りかかってきます

創世記に アダムが罪を犯したことにより
どんな呪いがあるか書かれていますが
例えば男は労苦して働かなければならない
女は産むのに苦しまなければならないというもので
私は絶対に何があってもそこを避けたいと思っています

神様の義に歩まず 欲を満たす道へと行くなら
それらの呪いは全て自分の人生に起こりますが
しかしその呪いは(これも条件付きでですが)
既にイエスさまにより打ち砕かれているのです

その条件は イエスさまが私たちのために
罪や呪いを全て背負って死に甦られたと信じて
自分の十字架を背負ってイエスさまについていくことです

イエスさまが見せてくださった超自然的な
恵みを受け取りたいと思うなら 欲に歩まずに
「自分の十字架を背負って」イエスさまについて行くのです

蛇はいつでも欲に歩くように人を誘惑します
その方が十字架を背負うより楽しそうに見えますが
実際は何も実を結ばず 呪いと負債だけが増えます

呪いの中に生きているなら その誘惑を
断ち切ることは大変難しいかもしれませんが
イエスさまは 蛇を踏み潰す権威を
人に与えられたので その誘惑ごと蛇を
踏み潰すことが私たちには出来るのです

りゅうくんは 過去にQTを通して同じことを
何度も何度も これをやりなさいと示されています

にも拘らずそれを放り投げて違うことを始めた時に
神様は それは愛がなくわたしの御心ではないと
明確に示してくださいました

しかしりゅうくんはまた同じ事を
繰り返そうとしています

話を聞いていると 私が過去に自分の弱さから
絵ではなくデザインを選んでしまったのと
同じ動機であるように感じるので
この件は 私が自分の呪いを打ち砕く必要が
大きい領域なのです

りゅうくんは 私のことを知るためにも
私が通った過ちも知っておきたいとかいうことを
当たり前に考えてしまうタイプだから
そこに最もらしい大義名分が加わったら
歯止めがきかないことがわかります

しかも 私にとっては自分が一度通った道なので
りゅうくんには同じ過ちをして欲しくないという思いと
自分が通ってしまった道をりゅうくんには
歩くなと言えるのか?という迷いがありましたが
その迷いこそが私が踏み潰すべき敵だったとわかりました

ですから今ならはっきりと 何が呪いで
何が祝福かを説明することが出来ます
私がその両方を自分の体験から詳細に知っているからです

自分が失敗をしたからこその恐れを手放し
自分のせいだという罪悪感も手放し
何が祝福で何が呪いであるかを伝えるという
私の責任をきちんと果たします

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