愛されていることを受け入れる

今日はQTの中で 自分がどれだけ
神様がくださろうとしているものに対して
心を許していなかったかを
実感するような啓示をたくさん受けました

信仰の通りになるとはよく言いますが
しかし私の場合 間違えなく神様は
私の間違えた思いを打ち砕いて
ご自身のみ恵みを私に受け取らせようと
働きかけてくださるので
そういう意味では 私の信仰の通りにではなく
神様の良さの通りに全てが進んでいると思います

今回は りゅうくんはそれを受け取っていて
私に渡そうとしているのに 私がそれを
受け取り拒否している という図式を
思いっきり目の当たりにしてしまい

りゅうくんが正しかったのにごめんねと
悔い改めて 受け取る覚悟を決めるという
一日となりました

すると私の中で 神様とイエスさまと聖霊さまが
何かを作り替えているような感じがしたのですが
その時に 初めてやっとイエスさまが全て
背負ってくださったというのがこういうことだと
わかったように感じました

まだ自分はイエスさまに救われたことを
受け取らずに自分で自分の責任を背負おうとして
委ねきれていなかったのだと心から実感すると同時に
自分の内の罪悪感が消えたことを感じました

手放します!と何度宣言をしても
全く拭い去れなかったものでしたが
手放すことではなく 受けることが
鍵だったのだと気付きました

この事に気付けたのは昨日の映画を含めて
りゅうくんが受け取り流そうとしてくれるからで
それが神様とりゅうくんの心であるということに
本当に感謝をしました

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