愛される権利を受け入れる

昨日 思ってもみなかった解放を受けて
神様は畳み掛けるように 私が全く
期待も解決も望んでいなかった問題に対して
解放を与えてくださいました

それは父と母の問題であり 私には
関係がないと思っていたことでした

幼い頃というのはいつも一緒にいる
母親の言うことの方が影響が大きいので
母が父を悪く言うことを真に受けてしまい
そのせいで私は父とよく喧嘩になりました

しかし大人になってから 母の方に問題があるとわかり
父としなくていい喧嘩をしていたことに気付くと
母の話(愚痴)を聞くことを避けるようになっていったのです

この様に客観的に書き出してみると
母(の愚痴)が私と父の関係を壊していた ということが
はっきりとわかるのですが 私はこれを
父と母の問題であり私には関係ないと思っており
私は両親に親として何も期待をしていなかったのです

親に愛されたかったと思えないことが
長い間私のコンプレックスでしたが
今や 神様がパパになってくれて愛してくれるので
そのコンプレックスはもうなくなっていました

ですがQTを通して神様は この件について
親を赦すようにと促されました

赦すという感覚は理解出来なかったですし
どちらかというと 両親を軽蔑していることを
悔い改めるところでは?と思うぐらいですが

神様は 赦すことが必要だと示されたので
意味もわからず 赦しますと宣言をしました

すると 何か余計なものがとれていくのを感じました

後になって気付いたのですが
親に八つ当たりをされて(私以外の人を私に投影して)
私自身を全く見てくれなかったことに対して
私は親を赦す必要があったのです

私には全く関係がないことで 私が本来受けるべき
愛を全く貰えなかったわけですから
私はその事に対して怒って良かったし
実際 妹は大変怒っていたと思います

私は両親に対して怒らずに ここには私が
求める必要はないと見限ってしまい
むしろ この人たちに必要なものは何かと
探しに行ってしまったのです

私はクリスチャンになる前 本当に
自分の人生を生きていませんでした
親のことに30年以上とられてしまい
自分の人生を蔑ろにして親のための答えを探していました

だからこそ 神様にたどり着いたわけですが
神様は 私が求めるものをまず取られました

父の家を忘れよ が最初の命令であり
私は人のためにではなく自分のために生きることを
促されていることを理解しました

神様は 赤ちゃんにミルクを飲ませるように
私を一から育ててくださっていると感じており
私は子としての安心感を学びつつあるところです
(まだまだみたいですが ほんとにまだまだですね)

その過程 神様の愛を受け取るために
神様が建てた権威である両親が幼い頃
愛を流してくれなかったことに対して
赦す必要があったのだと思いました

それは 私が親になるための準備でもあります

産まれて来る子に神様から受け取った愛を流すために
この過程はとても必要なことだと思いました

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