望む以上に与えられる恵み

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最近の 心では納得しきれていないけど
神様のことはわかる というのは要するに
愛がないんだよなぁ と思っていました

自分に愛がなくても 神様に祈って
神様の導きに従い行動したり発言をしたりすれば
そこから神様の愛が流れます

しかしだからといって 私自身に
愛があるわけではない ということです

愛がわからないのは受け取っていないから

という単純な問題であることもわかっていて
だからこそ ヒーリングルームなどで
神様はあなたを凄く愛しているよ!と
何度も何度も言われているのだとも思います

正確に言うと 愛はここまででいい と
線を引いてしまっている感じです

はじめイエスさまのことを聞いたときも
なんだって罪のない人が私なんかのために
死ななければならないんだ というところから

しかしもう完了しちゃったんだから
そんなこと言っても仕方ないよね 受け入れないと
と なんとか少しずつ受け入れている感じなのです

正直 神様の愛は大きすぎて時に意味不明です
なんでそうなるの?と思うことがたくさんあります

ですが 自分の心を神様と1つにするとき
この上ない平安がやってくるのです

先日あることについてりゅうくんが
神様だったら絶対こうするに決まってる!
と ものすっごい力説をしたにも関わらず
数分後にその話をりゅうくんにすると
そんなこと言ったっけ?と答えが返ってきました

心ではチューニングがあっていないのに
神様のみことばを取り次ぐことはあります

しかも その事について祈るものがいなければ
それは地に降りてこなかったりもするのです

それがとりなしの難しさであり
ある意味では醍醐味でもあります

心では神様が何を言っているのかわからずとも
神様のみこころを祈る理由は何でしょう
それは ただひとえに神様を愛しているからです

要するに 人に対する愛がなくても
神様に対する愛があれば とりなしの祈りを
することは出来るということです

そしてその祈りを通して 神様の愛を知るのです

今日 祈りつつ神様を賛美していたところ
賛美を止めてわたしの声を聞きなさい と
語られたように感じたので賛美を止めて
静まって神様の御声を待ちました

すると 異言での祈りが口をついて出て来ましたが
その異言の意味はわかりませんでした
ですが 祈りが終わると肩の力が抜けて
物凄く深い平安が訪れました

そして 朝にとても自分に対して
ネガティブに思ったことが 全く
ネガティブに感じなくなっていました

また今日は 自分やりゅうくんへの愛のために
情熱を持って何かをしたい という
漠然とした思いも与えられました

全ての行動の動機を愛にしたい
(というより 愛以外の動機では何もしたくない)
という思いはずっと持っていたのですが

それに 神様が方向性をくださったと同時に
どうして私がそれを拒絶するのかについて
神様が解決をくださろうとしているような
気がしています

神様は 私が望む望まないに限らず
最高のものをいつでも用意してくださり
それを受け取れるようにしてくださいます

勿論 それを望んで祈ったのは確かですが
その前に 神様がそれを望まれており
私に祈る思いをくださったのだと思います

その事に 本当に感謝します✨

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