明日の不安を手放す

今日は 早く終わらせてしまいたいのに
なかなか連絡が来ない等々の理由で
先延ばしになっていたことが全て完了しました

重荷になっていたことを手放せたので
とてもすっきりしたのですが その反面で
重荷をイエスさまに託しきれずに
自分で背負ってしまっていることも感じました

神様に全て任せて手放しなさい というのは
ヒーリングルームでも示されましたが
わかっているのになかなか手放せないのは
どうしたものかと思っていました

ひとまず 自分でやろうと思ったことは全て
やるだけやってみたのですが それはただの
自己満足でしかないように感じました

しかし同時に それを行ったことが全く
無駄というわけでもないことも感じました

それを行うことで自分の思い…というか
余計な思考を手放すことが出来たからです

結局 行動の背景にある心が何であるかが
重要なんだなぁということを実感したのですが
神様への愛を動機にしていない全ては
実を結ぶことがないということを実感しました

その様なことをしている反面で
神様の愛をすごく感じることがあり
それは日常の何気ない事柄全てに感じている
と言っても言い過ぎではないと思います

それは特に りゅうくんの何気ない行動に感じ
神様とりゅうくんに 毎日が誕生日のように
大切に扱って貰っているなぁと思ったので
りゅうくんに感謝も込めて伝えたのですが
それはりゅうくんも同じように感じているそうで

お互い 自分が何をやっているのかわからずに
必要を満たしてもらっているという実感だけが
あるというのは何て幸せなことだろうと思いました

要するに 私がやっていることは
先のことに対する心配にどう対処するか
という余計なことなんだよな と思います

明日のことは明日が心配します
というみことばの通りなのだと思いますが
そこには 矢張り幼い頃に培ってしまった
不信感が土台になってしまっていると感じるので
そこから解放されるように祈ります

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