実感を伴わない理解

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今日はいつも通り 朝一番にヒーリングルームへ行き
引っ越し疲れが取れるようにお祈りをお願いすると

痛みや病に対する祈りだけではなく
神様にもっと委ねるということと
神様は物凄くあなたを愛していると
伝えてほしいと感じた と言われました

愛されていることを受け入れているつもりなのに
まだまだ足りていないのか と苦笑いしつつ
しかし 委ねるということについては
祈ってもらうことで物凄く心にあった重荷が
手放せたのでとても感謝でした

しかし自分ではなかなか委ねたり愛を受け取ったり
出来ないのはどうしたものかと思っていたのですが

今日の11時礼拝の預言者さんのお話は
正にそのことに対する答えでした

それはラザロがイエスさまに呼ばれて
墓から出て来た時の背景のお話でした

まず 姉妹のとりなしがあったこと
次に憐れむ群衆がいたこと
そして墓石をどかす人がいたこと
最後にラザロを巻いていた布を
取ってくれる人がいたことです

イエスさま以外のこのギャラリーこそが
教会というコミュニティに与えられた役目である
というお話で とりなしを受けることや
自分を縛る布を取って貰うことというのは
必要なことだ ということを示されました

なので 何年にも渡り何度も何度も
解放を求めてヒーリングルームに通うことや
愛を受けとるように また重荷を手放すようにと
言われ続けていることというのは
必要なことなのだと受けとることが出来ました

今日は 預言者さんが11時と15時の2回
メッセージをされるということになっており
いつもなら15時前には出発するのですが
りゅうくんの夜勤がなくなりお休みになったので
15時のメッセージも聞きたいなぁと思いました

それに加えて 実は今日は15時礼拝の後に
この日ランチを約束していた姉妹のお友達が
洗礼を受けることになっており よかったら
参列してねと声をかけて頂いていました

しかし15時過ぎに広尾を出発すると どうしても
夕方の暗くなる時間帯に高速を走ることになり
とても疲れるのでどうしようかな と思っていました

その姉妹と約束のランチを食べて楽しくお話をしてから
日が長くなったから15時のメッセージだけは聞いて
洗礼式には出ないで帰るね と言ったのですが

15時のメッセージは 心の内にある怒りに
光を当てて手放すという感じの内容で
普段思ってもいないような(でも恐らくは
自分の中に残っていた)怒りを強く感じて
物凄く体調が悪くなってしまいました

やっぱり15時礼拝には参加せずに
帰る方が良かったのかな?いやいやでも
これに参加していなかったら隠れた怒りが
残ったままになってしまっていたわけだし

と 若干葛藤しつつ しかしこんな気分が悪くて
きちんと帰れるのかと思い悩んでいると
りゅうくんが 洗礼を見るんでしょと言います

食後に 洗礼は見ないで帰ると言ったのに
聞いていなかったのか と一瞬物凄く
イラッとしたのですが しかしこれは
神様のみこころであると感じました

しかし気分が悪い上に りゅうくんが
人の話を聞いていなかったことに対して
不愉快に思うことを隠す気にもなれずいると
りゅうくんが やっぱり帰ろうと言うので
私の顔色を見るな神様を見ろ!と怒りが爆発しました

私がどうであるかは一切無視して
神様はどう言ってるのかだけに集中してと言うと
もうどうなってもいいから洗礼式に出る と言います

私の機嫌により神様からの示しを
曲げられてしまうのは大変迷惑だし
私に依存されると私が素直な感情を出せないので
固く立って貰いたいところなのです

しかし折角のお祝いにイライラした雰囲気を
持っていきませんように と祈ってから
洗礼式に参列させてもらいました

最近は一度に何人もの人が洗礼を受けるのですが
この日は珍しく ただ一人のために洗礼式があり
何か特別な感じが漂っていました

その人が洗礼槽に浸されると 自分の中の
余計なものまでが一緒に流されていったように感じ
洗礼式が終わると 体調の悪さもイライラも
全てすっきりと消え去っていました

夕暮れ時の運転でも大丈夫というぐらいに
元気になっていましたが それでもなるべく
早く帰ろうと思い お祝いの挨拶だけをして
すぐに帰路につきました

途中のパーキングエリアで食事をすることを
神様に示されたのですが そこまでの道中は
まだまだ明るかったのに 食事をしている間に
真っ暗になり 一番運転しにくい時間をきちんと
避けることが出来ました

全ての必要はきちんと満たされていました

りゅうくんが 神様の示しにより動く時に
もっと神様からであるとはっきりわかるようにと
祈ってくれていたのですが

本当に今 それが凄く欲しいなぁと思いました

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