思いを神様に明け渡す

今日は QTからもそうだったのですが
権威というものについて考えさせられる
機会がありました

それがどういうことかという詳細については
過去に体験した悪い経験がきっかけで
権威に対して間違えた接し方をし続けてきた
というだけの話なので書くには値しませんが

過去のことを思い出すに もしかしたら
私は自分が権威ある言葉を用いることが
嫌いだったのでは と思い当たりました

人にアドバイスはする癖に そのアドバイスにより
人が変わることが私はすごく嫌だったのです

自分の発言の重さに責任感を強く感じてしまい
自分の言葉などで人が変わってはいけない
とすら思っていました

その理由は 私自身が何が良くて何が悪いかを
知らなかったからという一言に尽きます

但し 明らかに悪い方へ行こうとしている人に
忠告をしても聞き入れられない場合は
物凄い憤りを覚えていたのですが
どちらにせよ 敵に思いっきり
騙されてたよなぁと思う事のひとつです

聖書を読むと ある意味真逆ともとれるようなことが
たくさん書いてあります

預言者は 人に悔い改めることを薦め
放蕩息子には 求める通りに財産を渡し
そこから学んで悔い改めるのです

要するに悪い方に行くのを止めようとすることだって
悔い改めの機会を潰す行いだったかもしれないのです

ともあれ 聖書の神様というのは
それまで知っていた神々と呼ばれるものとは
全く異質であることはすぐにわかりました
そこには明確な答えがありました

神様というのは 人を良くすることを
本気で考えている方であり
その様な方はただおひとりなのです

ほぼ逆ともいえる価値観に自分の思いを
寄せていくことは大変でしたが
しかし 求めたものは全て与えられ
求められないことも 求めていないことも
全てが与えられており それらは例に漏れず
どれを取っても 全てが本当に良いものだけなのです

こんな神様は他にはおられませんし
それほどに力がある神様もおられません

私が知っていた神々というのは
人が祭り上げなければ力を持たず
祭ることを止めれば呪うようなものばかりで

それは結局 悪魔というのは力がなく
人から力を奪うしかないということを
裏付けているようなものでしかありません

その様にして人は 集まれば力になりますが
唯一の神様は人に全く依存しないのです

今では 私が伝えた言葉で人が変わり
それが一時的な変化ではなく
根本から良くなっていることを見て
正しく神様からの示しを伝えることが
出来たという喜びに満足出来ます

それは 神様の示しであれば間違えがないからです

また敵からの示しであれば
それは 全く力を持ちません
ということは 良い方に変化してそれが
巻き戻らないということは 間違えなく
神様からの示しだということがわかります

その喜びを奪おうとするものもいますが
相手にしなければ何の力もありません

伝えるというのは必ずしも教えることではありません
むしろ教えることよりも 欲求を伝えることの方が
人が変わる場合が多くあります

それは 神様が与える思いだからです
神様からのものであるなら変化は起こります

今日のQTは この様なものでした

愛する澄子 あなたはわたしが置いた場所において
神の解決を流すものです ですが
選ばれたものはわたしの声を聞きます

多くの者がわたしや使徒たちに
癒しや必要を求めて来ましたが
誰もがわたしや使徒のように生きる道に
入ったわけではありません

わたしの招きに応えることが定められたものは
わたしの声を聞いたときに応えます
しかし弟子として建て上げるには学ぶことが必要です

権威はわたしから出ます
わたしが語ること以外に権威はありません
あなたがあなたの思いで教えることには権威はありませんが
しかしわたしに明け渡す時にわたしはあなたを用います

思いが与えられたら ただ素直に
それを伝えるだけで良いのであって
どうやったらうまく教えられるだろうかなどと
相手を変えるために自分が手を加えようと
する必要はないということです

明け渡すというのはこういうことなんだな
と 思うのでした

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