嘘という神様との隔てを取り除く

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今日は朝から母を病院に連れていく予定でしたが
りゅうくんが残業で 家を出る時間になって
やっと仕事が終わったというので 会社まで
迎えに行き その足で母の家に行きました

母を病院に送り届け 終わるまでの間は
野菜の即売所で買い物をするなどして時間を潰し
お昼前には母のお友達が高崎まで
来てくださることになっていたので
車で迎えに行き 近くのショッピングビルの
和カフェ(母のリクエスト)に案内しました

母の友人が来るときは ゆっくり話して貰うため
同じ店に入っても席は別にします

母たちのお喋りは2~3時間はかかるので
こちらも合わせてゆっくり食事をする必要があり
お茶や台湾スイーツを追加注文しつつ
QTをすることも出来ました

QTの中では 最近神様の愛をしっかりと
受け取るようになったことで
愛がない人や 霊的な背景が違う人を見たときに
思うことや感じることが変わってきたことを
(良い変化として)指摘されました

以前はその様な場面を見ると身構えてしまったのに
最近はスルーすることが出来るようになったのです

時には霊的攻撃が激しいときもありますがそういう時も
神様の平安に留まることを選べるようになりました

主観的に言うと 神様に愛されているのだから
それに相応しい自分であろうという思いが
強く与えられるようになり

「神様に愛される者として相応しい自分」というものが
どういうものかというのがわかるようになりました

それは素直であること 自分に嘘をつかないことが
一番大切なことだという価値観です
何故なら神様は心をご覧になる方なので
そこで嘘をつくと神様とのコミュニケーションが
全く噛み合わなくなるからです

また他人に対しても嘘をつかないことが
大切であることは言うまでもないので
社交辞令を使わずに良心的であることは
とても重要なことであると感じます

そして 敵の嘘に同意をしないことです

この事を意識するようになってからというものの
思う以上に自分の思いの中に敵が
嘘の感情を投げ込んでいるということに
気付くようになりました

また 今までやって良いと思っていたような
当たり障りのない無難な態度というのは
避けるようになりました

そこには愛がないのはわかっていましたが
神様に愛されている者として愛がない態度は
相応しくないと思うようになったのです

それから ある意味では本音と建前を
上手に使い分けるようになりました

私は良くも悪くも嘘をつきたくない性格過ぎて
人を傷付けないために 本音をオブラートに
包んで伝えることや 間違えた情報に対して
(それは自分の間違えでも他人の間違えでも)
何故か罪悪感や恥を物凄く感じていたのですが

ある聖句の正確な解き明かしを聞いたときに
それらの感情が一切なくなったのです

それは コリント人への手紙第一14章33-35節です

和訳では 教会で女性は喋ってはいけない
といった訳され方をしているのですが

原文に忠実に訳すと

神の秩序の中では妻は啓示を語ってはいけない
(妻は明け渡すことを求められているから)

わからないことがあるなら(=啓示の意味が
わからないなら だと思いますが)家で夫に尋ねなさい
というニュアンスになるのだそうです

これを聞いたとき イエスさまが
弟子たち(中でも特別に選んだ者)と
それ以外の人々に対する発言が違うことに
納得が行き それと同時に自分の内にあった
妙なこだわりが全くなくなったのです

真理は人を自由にする というのは
きっとこういうことなのだろうと思いました

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