父親との関係性の回復

昨日 久々に母とゆっくり話をしたのですが 
その話の中で 私と父がどのような関係であったか
ということを思い出す機会がありました

父は 極度の機械音痴であるにも関わらず
メディア関係の機械を買うのを好んだので
それらの操作が全て 私の担当だったのです

始まりは家にあったオーディオコンポでした

機能が多くあり過ぎて 父も母も操作方法が
わからなくなってしまったそうなのですが
幼稚園児だった私が見様見真似で全て覚えており
操作を全部やってしまったのだそうです

その後も システムエンジニアの叔父に習い
パソコンでゲームを楽しんだり
市で開催していた無料のプログラミング教室
(当時はBasicでした)でも学ぶ機会がありました

また高校卒業後は独学でweb制作やCGI・perlの
カスタマイズをするぐらいにはなりましたが
しかし 自分でプログラムを組むほどではありません

周囲の男の子たちはゲームをどんどん作っていくのに
私はせいぜい絵を描く程度だったので
別段それが得意であるとは思っていませんでした

ですが家にいると 機械音痴の父が
オーディオ製品やワープロなどを買ってきては
私に丸投げして全部使わせてくれる上に
文字打ちなどに対してはきちんと報酬もくれたので
わくわく楽しみに待つような感じもありました

そしてこれが 今神様が私に対して
やってくださっている導き方そのものなのです

祈りの課題を下さり なんだがわからないけど
祈るとその実りを見せてくださり報酬もくださいます

肉の父が使っていた方法で導いてくださっていたんだ!と
気付いたときには本当にびっくりしました

念のため言うと 肉の父は別に私を導いたわけではありません

自分がやりたいことが自分で出来なかったので
私にやらせていただけですし
とても残念なことに 父は偶像崇拝をしていたので
霊的背景に問題がありました

父が私にやらせたことは 私の賜物を敵に
奪わせる足掛かりとなってしまったのです

神様からもうやってはいけないと止められた
仕事の原点が 父との関係にあったのです

これは親に悪意があったり落ち度があったわけではなく
単純に親の持つ信仰 親の背後の霊が問題だったのですが
しかしながら 親との関わりで身に着けた全てが
神様から離れる原因になってしまっていました

しかし神様は 私と肉の父との関係を大切に用いて
神様の仕事を私にやらせてくださいました

やり方は同じですが 霊的背景は違います
物理的には全く同じに見えても中身も動機も全く違います

霊的なものに敏感な私は その経験を通して
何が問題であり その結果何を刈り取ってしまっていたのか
またどういうことで良くすることが出来るのかを
理解することが出来ました

また 次にやって来そうな課題の本質が
この件ととても深く関わっており この事は
恐らく日本にある呪いの打ち破りとも関係があるのです

と言っても私はただ祈るだけで その結果
どこでどんなことが起きるのかを私はもしかしたら
見ないかもしれませんし 見る必要がないかもしれません

ですが その結果得られるものの美しさに
私はきっと大喜びすることでしょう

神様は 私と神様を遠ざけていたものを用いて
私との関係を築くことで 私の内にあった
全ての呪いを打ち砕いてくださいました

私の人生を壊した出来事を用いて
私を呪いから救い出してくださったのです

肉の父との関係の背後には破壊の霊がいたため
ある程度以上 距離が近づいてしまうと
そこに破壊のエネルギーが生じてしまうため
私は父に近づくことが出来ませんでしたが

しかし 神様とは当然ながらもっともっと
近くなることが可能ですし 神様もそれを望まれています

神様は私が知っている方法で私の父でいてくださいました
そのことが私にはとても嬉しいことに感じました

楽しかったのに 父が信じていたものの故に
父と親子の関係を築けなかったことはとても悲しいことでした

父が死んでしまい 親子関係を取り戻せないということは
私の思いを長い間 悲しみに縛っていました

ですが神様は 肉の父と同じように私に課題をくれて
それを通してたくさんの喜びと楽しみと報酬をくださいました

しかも神様は 私のことをきちんと娘として愛してくれる
本物の父親になってくれたので もっともっと近づけるのです

この事は 教会の多くのお父さんのような兄弟たちが
注いでくれる愛によって癒されたように感じるので
本当に感謝だったなぁと思います

今 以前のような悲しみはなく 肉の父に対しても
一緒に遊べて楽しかったね!と心から言いたい思いです

りゅうくんがよく神様から受け取ってくれる
「遊べ!」というのはこの感覚のことだとわかりました

神様は 私を親に愛されたかったと悲しむ孤児ではなく
父の課題を一緒に解決していくという楽しみの中で
父と共に成していく喜びへと移してくださいました

本当に 本当に感謝します

帰宅してからずっと 心の中心に揺るぎない暖かい
イメージがずっとあり 聖霊様の臨在をずっと感じていましたが
それは 神様が私に作られたイメージが回復した故に
得られたものなのかもしれませんし

神様が私に作られた「私と父親との関係」の
回復が鍵だったのかもしれません

私が肉の父と和解するという意味ではなく
私が父親と本来持つはずだった関係性が回復するということです

神様の臨在を感じ続けるということは
神様が作られたイメージから全くずれることなく
居続けることを意味するのかもしれません

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