イエスさまを信じる理由

Pocket
LINEで送る

今日はイエスさまが復活された日曜日です

私たちも肉の誕生日の他に 洗礼を受けた日を
新しい命の誕生日と言っているので イエスさま
新しい命のお誕生日おめでとうございます~♪
と 喜び祝っていると

ただ新しい命で生まれただけではなく
古い命に死んだ私たちのことを抱いて
一緒に生まれてくださったんだ という
思いが与えられて とても嬉しい気持ちに包まれました

昨日 りゅうくんの出勤がとても遅かったのに
今日は夕方の出勤だったので睡眠時間が短く

礼拝のライブ動画を見終わると りゅうくんは
もう一度寝てしまったので 一人で買い物に行き
少し昼寝をしてからりゅうくんのお弁当を作りました

それでからやっとQTをしたのですが
その中で 私がまだ神様を知らなかった頃に
何が善で何が悪かも知らない中で葛藤していた
あることに対する解き明かしを示されました

悪気がない人の言葉に傷付いた時に
自分を責めてしまっていたことに対してでした

今日のQT箇所は イエスさまが男だけで5千人いた群衆に
5つのパンと2匹の魚で満たした直後 人々が
イエスさまを王にしようと無理矢理つれていこうと
しているのを知って ただひとり(弟子も置いて)
山に退いてしまった後のことでした

イエスさまはその直後 大風が吹き荒れる中で
舟をこぐ弟子たちに 湖の上を歩くという奇跡を
見せておられます

また イエスさまが舟に乗ると 舟はすぐに
岸に到着したと書かれていますが 原文を見るに
その表現は瞬間移動によると読めるそうです

その様にして移動した先に イエスさまを無理矢理
つれていこうとしていた群衆がやってきます
その群衆は 5つのパンが大群衆を満たしたことの
「満たされたことだけ」を見てやって来た者たちです

イエスさまは彼等にはっきりと
あなた方は神の奇跡を見て信じたのではなく
お腹一杯になったからついてきただけだ

と 仰っています

またその後に なくなる食物の為ではなく
永遠の命に至る食物のために働きなさいと仰います

更にその先を読み進めていくと(QT箇所から離れますが)
イエスさま自身がそのパンであると仰られたことで
群衆は イエスさまのことを悪く言い始めます

そして最終的にイエスさまは
あなた方は神がわたしに与えた人ではないから
わたしの言うことを信じないのだ と仰います

当時のユダヤ人たちは 自分達は神の選びの民だと
思っていましたから イエスさまの肉を食べるとは
どういうことだと論じはじめます

また イエスさまについてきていた多くの弟子たちは
肉を食べろなんて酷い教えだと言って去り始めます

そして12人だけが残りました

神様は 人に縛られることはありません
人がイエスさまを祭り上げて 自分達が望むような
王にしようとするということは不可能であるのです

イエスさまが神の子であると信じる思いを
神様から与えられていた者たちだけが
イエスさまの元に残ったのです
(正確にはひとりを除いて ですが)

今日 神様が私に示されたのは

人の身勝手な祭り上げを受けそうになり
その都度逃げていたことに対して
私は裏切り者としてしか生きられないと
自分を責めていたことに対して
私が傷付いたことに気付かずに
感情を拗らせていることを指摘されたのです

考えてみれば 利用されそうになると
私は逃げていただけだったのですが
期待に応えられなかったと自分を責めても
ではその期待に応える意志があるかといったら
絶対にないわけですから私のこの思いは偽善です

嫌な役目を押し付けられそうになり
逃げて 自分を責めていたのです

神様は あなたは人の奴隷になる必要はなかったのだから
自分を責めることをまず止めるようにと示されました

また 気付いていないかもしれないが
彼等はあなたを傷付けたのだということを認めて
赦しなさいとも示されました

人を悪く思うよりは 自分のせいだと思う方が
私にとっては楽だったわけですが それは単純に
背後の霊の嘘を掴んでしまっていただけかもしれません

また その後私も成長して 出来ないことは出来ない
背負うべきではないものには背負わないと
はっきりと相手に言うようになりましたが

それを言い返す力がまだなかった時に
上手く言い返せなかったことを
いつまでも悔いて自分を責めていたのです

要するに 私は相手に対して
あなたは間違えたことを言っていると
言えなかったことが 本当に悔しかったのです

イエスさまは 奇跡を見ても信じない人たちから退いて
自分を信じる少数の弟子たちに対してだけ
大風が吹き荒れる湖を歩き 弟子たちの舟ごと
瞬間移動するという奇跡を現されました

もしかしたらその時の大風というのは
奇跡を見ても信じず 満腹したからからと
自分を祭り上げようとする者たちに対する
イエスさまの心情であったのかもしれない と思いました

もし 当時の私が真理を知っていたら
私を偶像化しようとした人たちを責める言葉を
面と向かって言えたでしょうか それはわかりません
(多分言ってたと思いますがわかりません)

しかし当時の私はそんなことも知るよしもなく
ただ煮え切らない思いを抱えることになり
どこにぶつければ良いかわからない思いを
自分を責めるものとしてしまっており

今思えば完全に敵の思う壺過ぎて
別の意味で腹立たしく思いました

ともあれ 知らなかったのだから仕方がないことを
いつまでも思っているな と語られたので
手放せるようにお祈りをしました

そのように祈った後 もっとイエスさまの奇跡
私たちの満たしとかそういう次元でなくて
恐れを感じてしまうような 本当に有り得ないような
奇跡を見れるだけの心のキャパが欲しいな

と 思いました

Pocket
LINEで送る