真理により自由になる

りゅうくんが先日受講した 霊の見分けと解放の
セミナーの音声を少しずつ聞いているのですが

その中で イエスさまはご自身を真理だと仰ったが
真理はご自分を偽ることがなく 相手の反応を気にして
嘘を言うことは決してないというお話がありました

真理を話すということは 良いことばかりではなく
あまり歓迎できないような内容であっても真理として
伝えるべき時がある ということです

人に言いにくいことを神様から言うように示された時に
本当にそれは私が言うべきことなのですかと
何度も確認することがよくありましたが
霊の見分けの賜物がある人は そういうチャレンジを
受ける機会が多くなる傾向があるのだそうです

また 本音で付き合える人とだけ深い関係を
築こうとする傾向もあるそうで
それが良いの悪いの言っても仕方がないんだなと
物凄く納得がいきました

また 本音(というより本当のこと)を言うことで
人に傷つけられることに対して 私はずっと
自分にも非があると思っていたのですが 神様はその思いに対し
あなたは私のイメージ通りだから自分を責めないでと
再三言われ続けており このままでいいんだと思うような
出来事もたくさんあったので ものすごく納得いきました

箴言27章5節にある

あからさまに責めるのは、ひそかに愛するのにまさる

というみことばが 正に神様の愛なのだと思いました

神様を心に置いて言った言葉が受け入れられないとき
神様は あなたが拒絶されているのではなく
神様が拒絶されているのだから気にしないように

と 何度も何度も言ってくださいました

また 戻りたくない古い自分に引き戻すような
言葉をかけてくる人とは距離を置くことについても
時と場合を選んで一緒にいる人を選ぶという話を聞き
とても心が軽くなりました

要するに そのままでいいんだな ということが
本当に腑に落ちるお話でした

人への気遣いは茨だとルカの福音書で例えられていますが
イエスさまの頭に冠として乗せられて
殴られ 血を流された そのようなものが
人への気遣いであるということだと思います

しかし ハンマーで殴られたような思いがあっても
実はそれは嘘であり 実体がなく
神様により守られているので敵が命に触れることはない

その痛みは既にイエスさまが全て受けてくださり
私たちには何の影響もない それが真理なのです

本当に イエスさまのあがないに 心から感謝をします

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