弟子としての成長

りゅうくんはホテルに着くとすぐに
寝てしまったようだったのですが
日付が変わる瞬間におめでとうの
メッセージと絵を送りました

今日は 朝に一度起きて食事をしてから
夜のうちにりゅうくんがUPしてくれた
セミナーの音声の前半を聞きました

その中で 日本の文化の中にある
敵の嘘の教えは捨て去り 御国の文化で生きよう
というお話があり アーメンだと思うと同時に
とても平安が与えられました

その後 礼拝ライブ動画を見たのですが
りゅうくんは15時の礼拝にも出たいと
言っていたので 昨日の寝不足を解消すべく
もう一眠りしようと思いました

その前にちょっとfacebookをチェックすると
面白い記事が流れてきました

それはカフェでの親子の会話で
小さな男の子にもうすぐ弟が出来るようで
弟が産まれたらたくさんお世話をするよ!と
男の子が意気込みを話しているところでした

ところがその男の子が ひとつだけ心配なのが
弟が産まれる時までに僕のおっぱいは出るように
なるだろうか と言ったのだそうです

カフェ中の人が吹き出し お母さんは
そんなところまで面倒見るつもりだったの!
お母さん安心だわ!と笑っていたそうです

りゅうくんだなぁ と思ったので
シェアをして昼寝をしました

ところが15時前にふと目が覚めると
数分前のタイムスタンプで りゅうくんが
電車に乗った というのです
予定より2時間早いのでびっくりしましたが
早く帰って逢う方が良いと思ったそうです

実は今日 りゅうくんは夜勤なので
あまりぎりぎりだと誕生日プレゼントを
渡す時間がないと思っていたので
神様が示されたのだな と感謝をしました

その後 チャットで話をしていると
乗る電車を間違えたかも と言い出しました

大丈夫かなと思いましたが どうやら
電車が遅延していたために 乗るはずだった電車の
一本前に乗ってしまっていたようです

大宮で無事に 本来乗るはずの電車に
乗り換えることが出来たのですが その時
「自分で間違えに気付いて 正しい道に
戻ることが出来た」という預言的行動だったと
感じたので 神様を賛美しました

予定通りの時間に高崎駅に到着したので
私の遅い昼御飯も兼ねて ファミレスに行き
りゅうくんはバースデースイーツを頂きました

そこで 教会でどんなことがあったのかと
話をしたのですが たくさんの人から
「あなたはきちんと神様の道を歩いているから
大丈夫だよ」と言って貰えて安心したそうです

また りゅうくんがどうしたいかという話で
仕事以外の全てを私に任せきりにしているから
もっと出来るようになりたいと言ったのだそうです

神様の道を歩いていることについては
手探りでも祈りながら進めているので
そこに確信がなかったことについては
そうだったのかーと思いましたが

仕事以外の全てを私に任せきりに
してしまっている ということには
まだそんな事を言っていたのか と思いました

というのは りゅうくんはかなり家のことを
やってくれていて その都度感謝を伝えているのですが
まだ完璧ではない もっとやれたはずだと
「完璧主義病」を発病しているだけなのです

そこで 礼拝後にシェアをした
もうすぐ弟が産まれる男の子の話をしました

もしこの男の子に弟が産まれた後に
男の子は本当によく動いてくれて
お母さんは助かるなぁと喜んで
ありがとうね と言ってくれているのに

おっぱいが出ないから僕はダメだ
気休めなんて言わないでくれと暗く沈んで
暴力的な態度までしてきたら どうする?

と言うと ぽいだな お仕置きだ というので
それ裁いてるから と速攻で突っ込みを入れました

人を裁くということは自分を裁いている証拠です

非現実的で神様がイメージしない自分像を作り
それに合致していないからと自分を裁くことは
神様の御心から完全に逸脱しています

その様な態度で敵に付け入る隙を与えて
暴力的な態度を取れば家の中の雰囲気が悪くなります

自分の領分を超えた 思い込みの「やるべきこと」に
こだわれば 簡単に敵の足場になるのです

もっと分かりやすくいうなら
私がりゅうくんにありがとうと言った時に
全然出来ていない と拒絶することは
感謝している私を無視することになるということ
(拒絶も無視も暴力の一種ですし
もし子どもが相手だったら混乱してしまいます)

ましてや神様なんて よくやったと誉めた上に
ご褒美までくださろうとする方なのだから
あなたは自分の評価ばかりか恵みの受け取りまで
拒絶しているのだ と伝えました

そして この話の男の子がもしお母さんから
あなたはよくやってるよありがとうね
と言われたら どういう態度をするべきだと思う?
と尋ねると 喜び踊る と言うので

じゃあ私や神様が誉めたときにも
喜び踊ってよ と言いました

そして改めて

あなたは家事をよくやってくれています
出来ない時もあるけどそれは私も一緒だし
二人のことなんだから出来る人がやればいいでしょ?

と言うと 不満そうな顔をするので
喜び踊るんじゃないのか と突っ込むと
その不満げな顔のままいえーい と言いました

心が伴ってないけど それでも構わないから
きちんと声に出して言って自分のものにしてね
と念を押しておきました

敵への長年の同意を止めるときというのは
なかなか心が伴わないものですが それでも
言葉を変えれば敵に力を与えることはなくなり
こうするべきと自分が思った本来の姿である
「神様のイメージ」にチューニングを
合わせていくことが出来るからです

そしてもし いえーい と言っている時に
でも と否定する思いが来たらすぐに
お前にはもう同意しない 出ていけと命令するのです

神様にチューニングを合わせれば
そのように命令するなら敵は黙ります

その様にして 神様により主権を取り戻すことが
りゅうくんの次の課題なのだと思います

時間になったのでファミレスを出るときに
行く前より顔付きがしっかりしていると感じたので
その事を伝えると早速 どこが?と否定的に言うので

どこがって 顔付きがと言ってるじゃないか
さっき言われたことをもう忘れてるよ
誉められたら心が伴わなくてもいえーい でしょ?

と言うと 先程よりは素直にいえーいと言いました

夜勤の休憩時間にまた少し話をしたのですが
私は今回の件で 神様から「求めて掴みなさい」と
示されているから この道で正しいと確信を持っていたけど
りゅうくんは確信が持てなかったんだね
みんなに正しいと言って貰えてよかったね

というと 今神様に聞いてみたら
あなたの思うそれは成長じゃないと言われた
と言うのです

何を聞いたのかはわかりませんでしたが
りゅうくんの思う「成長」イメージが
間違えているということです

私から見るに りゅうくんは何でもかんでも
自分で出来るようになる ということに
結構こだわっているように見えたので

私は 好き勝手に何かを求めているのではなく
あなたの心にあるものを求めて掴みなさいという
神様の指示に従っただけだけど

あなたが求めているのは自分で考えて自分でやるという
この世の自立だから それは神様の御心ではないね

そもそもあなたは弟子にしてください!と
入門させて貰ったのに
師匠がやりなさいということはやらずに
成長したいと言って何を成長するのだろうか

諸々を任されている先輩たちを見て
早く自分も任されるようになりたいと言っているが
先輩たちは 師匠が立ち上がれば上着を着せ
師匠が右手を動かせば筆と紙を取るような人たちなのだ

そこまで師匠の心を知る程に師匠を
見つめて指示を待つ人たちだからこそ
師匠は意見を求めたり 任せたり出来る

師匠がやりなさいと言うことをやるのが
成長のスタートラインに立つことであり
それがイエスさまに近付くことだよ と言いました

するとりゅうくんは

その日には、多くの者が、わたしにむかって
『主よ、主よ、わたしたちはあなたの名によって
預言したではありませんか。また、あなたの名によって
悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの力あるわざを
行ったではありませんか』と言うであろう。
(マタイによる福音書 7:22)

という御言葉を思い出したそうです
その通りだね と言いました

今は私の方が前に進んでいるけど
いつか私を追い抜く時が来る
私の報いはその事で 楽しみにいるのだから
きちんと成長してね と言いました

神様の声を折角聞いているのに
何故従えないのだろう というのは
りゅうくん自身もわかっていなかったし
私もよくわからなかったのですが

今回のセミナーで間違えなく大きく
前進をすることが出来たと感じました

悪い言葉(自己否定の言葉)を言ってしまうという
習慣を直すことは人の力だけであれば
容易ではないことかもしれませんが
神様と一緒に何度も繰り返していれば
そのうち 切り替える速度も早くなります

心が伴わなくてもいいから
神様の言うことに従う ということは
何にも替えることの出来ない
最善で最高の特効薬のようなものです

その事に気付く最初の一歩は大変でしょうが
乗り越えて行って欲しいと思います

(そして早く 私が仲介しなくても
神様と共に歩めるようになって欲しいです)

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