聖霊さまという保証

昨日の日記に書いた通り 今日は
甦る日だと勝手に思っていましたが

目が覚めて はて今の肉の命のままで
甦るとはどういうことか と思うと
物凄い濃い聖霊さまの臨在を
自分の内に感じました

そして エペソ人への手紙1章14節にある
聖霊さまの臨在こそが 私たちが
御国をつぐことの保証であるということが
繰り返し 何度も語られました

あまりにも何度も何度も繰り返されるので
一緒になり 声に出して何度も宣言すると
とても大きな喜びと確信に満たされました

そうかーそうだよな 聖霊さまが
私たちの命だよな と思いました

その後 聖書に書かれているいくつかの
聖霊さまに関するみことばが思い起こされたので
全てに アーメンと同意をしてから出勤をしました

今日は特にやることのない出勤日だったので
PC内の片付けをしたり 急ぎではない仕事を
マイペースに片付けていましたが

お昼頃に お休みのりゅうくんから
メッセージが来はじめたので

今回の件は神様から見てどういうことで
今後 どういう方向へと進むのかを
りゅうくんを通して示してくださいと
お祈りして りゅうくんに答えを
受け取ってとお願いをしてみました

すると 今回の件で何があったかを
端的に示すことは教えてくれたのですが
今後の方向性は示してくださいませんでした

その時に これはりゅうくんを通してではなく
自分で神様の声を聞くべきだと感じたので
朝にやっていなかったQTをやることにしました

するとまず最初に りゅうくんが
受け取れないということはりゅうくんが
神様の方を見れないとかいうことではなく
まだりゅうくんがそれを知る時期ではない
ということだから安心するようにと示されました

そして りゅうくんが神様にどのような
役目を受けてここにいるのかということや

それに関して私がクリスチャンになるより前から
何度か体験した「嫌だったこと」の解き明かし

また 1年半程前に見せられたビジョンと
それを通して私がやるべき神様の仕事について
色々な側面から語られました

そして最終的には 自分がやるべきことについて
りゅうくんを頼るのは止めて 聖霊さまだけを
頼るようにと示されました

りゅうくんには りゅうくんの仕事以上を
求めてはいけない と示されたのです

私自身も やるべきことを逸らされることを
避けるように示されましたが それは
私が人のことを逸れさせてしまうことも
意味していたので 悔い改めをしました

その心の根本にあったのが 聖書には
この様に書いてあるからそれに沿って
動かなければ という思いであったので
聖書の言葉尻を掴んで人を惑わすサタンの罠に
はまっていたんだなぁ と思いました

ともあれ 聖書の原則を考えたら
こういう方向に行くのはおかしい と
思っていたような全てが 神様から与えられた
役割のために重要なことだったということが
今日語られたことで全て納得出来ました

私がりゅうくんを頼るべきところと
そうではないところについても
理解することが出来ました

また今回の件で りゅうくんがなかなか
動かずどうしたものかと思っていたことへの
一切の邪魔がなくなったことを
神様が宣言してくださったことも感謝で
実際 今までとは少し違う距離感で
一緒に前に進むことが出来ました

りゅうくんは今 自分の思いはあれども
それは一旦横に置いて神様の声を聴く
という訓練にあるように思います

何故ならりゅうくんの思いと神様の思いが
かけ離れているからです

自分の感想を持ってはいけないの?と
言われたのですが 感想をもってしまうのは
仕方がないのでそれは良し悪しではありません

しかし その感想を自分の思いとして
宣言するのであれば それは
神様の目線に自分を寄せることではなく
頑なに自分を保つことになり

神様から出ておらず 自分の思いだと
思っていることは大抵敵の嘘を信じた結果の
感想に過ぎないことが殆んどだからです

神様に反抗するつもりでその事を
宣言するのであればそれは構いません

それはイヤイヤ期の子どもが
納得いくまで泣き続けるようなもので
優等生ぶって我慢するべきではないからです

その様に 自分の思いが通らないということを
十分に味わい尽くして先に進むなら
それは必要な経験であると思うのですが

神様が何と言おうと自分はこう思う
という宣言をしたいのであれば
それは今すぐ止めるべきだと思います

自分が思う感想を捨てて 神様の目線に
同意をするところに戦いがあるのは
仕方がないし それこそが成長の過程ですが

決別し 戦う気がないことを宣言してしまうなら
自由意思を尊重する神様は
語るのを止めてしまわれるからです

神様から出たものと嘘とは
共存することが有り得ません

それであればまだ 神様から逃げたり
何でなんですか と食って掛かる方がましです

神様は本当に優しくて良い神様ですから
慰めて受け入れさせてくださいますし
ヨナのように 御心をわからせてくださるでしょう

神様から距離を置くことを正当化するような
敵の嘘に同意をすることというのは
その刈り取りをも正当化することになります

結果 神様が望まれないような
思ったこともないような出来事すら
神様のせいにされてしまうのです

神様は 良いものだけを創られて
良いものだけで満たしたいと思っておられます
何故なら神様ご自身が大変素晴らしく
出来ないことは何一つとしてない方であるからです

私たちは 神様の栄光を現すものとして
神様の御心へと近付いていくものです
そのアイデンティティにかたく立てることが
神様の子どもにある特権なのです

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