神様と一緒に乗り越える

昨日の日記で もう守られているのだから
それ以上に守らなくてもいい と思った反面で

「守りたいという思いを抱く原因」については
徹底的に排除したいという思いが与えられました

以前はそういう自分が嫌だと思っていたのですが
神様が創られた性質は受け入れるようにと促されたので
今回はあれこれ言い訳をすることなく
自分の感性に素直に従うことにしました

神様が私を過去避けていたところへと
連れていかれるのと同じように

りゅうくんも 弱いところへと
幾度となく連れていかれています

クリスチャンというのはそもそもで
悪霊を追い出して人を解放した上で
(人々に自由をもたらした上で)
御国の到来とイエスさまの救いを宣言する
権威を受け取っている者です

自分たちだけ安全な場所で何もない
平穏な人生を送る ということはなく
地の解決のために神様がその場所に
置いてくださった御国の代表者であると
聖書には書いてあります

敵の前で食卓を整えてくださる神様と
勝利の祝宴をあげる人生を送ること
またその食卓に多くの人を招くことが
喜びであると私たちも感じます

勿論 神様は人の自由意思を尊重するので
必ずしもそのような人生を歩くということでは
ないと思いますが 少なくとも私たちはそうであり
神様により強くなることを望んでいます

望んでいるので神様は応えてくださるので
誘惑に負けているようだと
何度でも何度でも打ち勝てるまで
繰り返し そこへ連れていかれるのです

それがいつまで続くのかと言えば
自分が神様の守りの中でいかに安全に
過ごさせて貰えているかということと
誘惑に打ち勝つための全ての必要が
既に与えられているかを学ぶまでだと思います

以前はそれを降りかかる災難であるとか
罠にかかってしまうように感じていましたが
最近は これは自分で望んでいることで
神様と一緒に乗り越えるべきことなのだと
感じるようになりました

逃げ腰だったり恐る恐る関わっていると
見えてこないもの(目隠しされているもの)も
神様と一緒にいることで問題の切り分けも
出来るようになってきます

過去に預言されていたことの意味が
わかってくるということもよくあります

神様は 本当に必要なものをすべてきちんと
あらかじめ用意してくださっていると感じます

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