呪いの根を取り除く

今日は起き抜けに 自分でどうにかしなくちゃという
自分とは別の思いがあることに気付いたのですが

これはサバイバルの霊だな と感じたので
出て行け と追い出しました

するととても気持ちが軽くなり
神様の喜びに留まることが容易に感じたので
これが諸悪の根源だったのか と思いました

昨日の夜に羊の絵を何枚か描いたので
夜勤明けにそれを見たりゅうくんもご機嫌で
今朝は2人して喜んでいました

実は状況で言うととても悪いかのように
見える出来事が起きていたのですが
それによって焦る必要はなく
敵の前で神様は食卓を用意してくださる方だ
ということに感謝が出来ました

昼休みにふと りゅうくんが送ってくれていた
おもちゃを買ってと癇癪を起こす子どもの
対処法についての記事が目に付きました

子どもが何かを欲しいと言ったらメモに
欲しいものを書いて透明な瓶に入れて
欲しいものを貯めていく というもので

欲しいものを親と共有できていることや
欲しいと言ったものが目に見えるので
無視されていないと子どもが納得出来るのだそうです

りゅうくんは 祈りが神様の前に積まれているという
お話を思い出した と言っていましたが

私は自分の祈りが神様の前に積まれているというより
自分が祈ってもいないことを神様がくださって
祈りなさい~と促されているなぁと感じており
自分の祈りが神様に聞かれていないと思ったことは
一度もなかったのであれ?と思いました

そういえばイヤイヤ期だとか買ってと泣くだとか
よく記事で読むけど 自分の人生で心当たりがないな
と思ったので なんとなく母に2歳時頃の私は
どんな子だったのか と質問しました

すると その頃は引っ越しに妹出産に加えて
父の精神状態が最悪で父が癇癪を起してばかりで
私の相手をしている暇が全くなかったそうです

そんな中私はずっと壁に絵を描いていたそうですが
しっかり者だったのでピアノの先生に預けた
という言い方をしていたので
それについてだけはちょっとカチンと来ました

何故なら私はピアノ以外の楽器をやりたいと
ずっと言い続けていたのに色々理由を付けて
やらせてもらえなかった上に
ピアノにまつわる嫌なことが山ほど起きたからです

(嫌なことを嫌々やらされていれば当然
嫌なことが山ほど起きるわけです)

また母から「しっかり者」という表現を聞いて
しっかり者だと思われることで経験した
嫌なことを これまた山ほど思い出したので

しっかり者だと思われることは大変迷惑だった
と母に伝えると あなたの気持ちをわかってあげられなくて
向き合うことが出来なくて悪かったと言われました

恐らく私の本音としては 単純に
構って貰いたかったし
向き合って貰いたかったのだと思います

しかし「しっかりしているから」と言って
自分がやりたくないことをやらされたので
構わなくていい むしろ放っておいて
余計なことをしないでくれ になってしまっていました

ですが自分の感情云々は抜きにして 根本的な問題が
ここに隠されていたんだなぁと思いました

以前 先祖について幻を見た時のことを思い出したからです

私の曽祖父は農家の子減らしとしてお寺に預けられ
千日の修行を経て大阿闍梨になりました

しかし ある聖会の賛美中だったでしょうか
本当は修行して偉くなりたかったのではなく
親と一緒に農家として過ごしたかったのだという
田んぼのビジョンと それに対する強い
憧れと悲しみと悔しさという
怒りにも似た思いを感じたことがあったのです

ああ これも代々続く呪いだったなぁと思いました

ともあれ あなたはしっかり者だからと言って
諸々我慢を強いられたことを「良かった」と
思われている勘違いは訂正しなければいけません

ですから それをきちんと言えたことは良かったと思いました

が しかし何かしっくり来ないものがあります

もっと何かを赦すべきなのかもしれないと思いましたが
赦すには怒りを自覚しなければいけないので
ひとしきり 怒りたいことを書きだして
母には言わず りゅうくんに伝えました

すると りゅうくんの慰めに対しては
溜飲が下がる思いがしたので
結局 解決は神様の愛に慰められるしか
ないのだなぁと思いました

どんなに棘が抜けても神様の愛による
満たしがなければ何も解決にならないのです

ひとつまた大きな軛が打ち砕かれたこと
また神様の愛に満たされてその傷が
癒されることに心から感謝します❤

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