支配の心は悪意だと認める

昨日の夜に大きな解放があり それまでずっとあった
胸の痛みが癒されるのがわかりました

しかし神様は今朝QTを通して この件について
最も大きな問題が何であったのか
またどのように祈ればいいのかを教えてくださいました

詳細を書くのは難しいのですが 簡単に言えば
人の知恵 哲学的な教えの裏に悪魔の働きがあり
その教えを強く勧める(というより強要する)者に対し
背後の霊を縛り上げる祈りをした上で
その人の処遇を神様に委ねなさいというものでした

最近 ある有名な哲学者の著書の説明を見ると
人は 人に不快なことをされても怒らないことで
神を超えたのだ といったとんでもない文があったのですが

不快なことをされたのに怒らないということの裏には
不快なことをした相手を見下して自分を高くするという
悪魔の性質がそのままに現れており これは
人間関係を破壊する教えであると神様は教えてくださいました

人に嫌なことをされて悲しみ怒っている人がいたら
嫌だったね と共感して慰めればいいのです

嫌なことをした相手を見下し卑下するだとか
憐れんで赦してやれだとかいう教えは
人間関係を破壊する悪魔の教えなのです

私は幼い頃 その様なことを言われると
自分が嫌なことをされたことよりも
何倍も怒っていたのですが
それは悪魔の教えを教えられることに対して
怒っていたのだと気付きました

強要してくる(コントロールしようとする)人への
怒りを手放すために その人の背後の霊を縛り上げ
神様に助けを求めなさい 神様の公平な審判があり
処遇が神様に委ねられるように祈りなさいと神様は示されました

私は別に その人が罰せられて欲しいわけではないので
そういう祈り方をすることには躊躇がありましたが
神様が必ずしも罰で解決するわけではなく
恵みにより解決をすることも出来る方であると知った今
神様がその人に介入して下さることは良いことだと思います

その人が頑なであるなら痛い目に遭うかもしれませんが
それは 神様とその人の関係の問題であり
私が背負うべきものではないのです

滅びが定まっているものは私を悪く言いました
正確に言うと 滅びが定まっているものに同調して
私を悪く言った人がいたことで私は心を痛めました

しかし背後の霊が縛られると その人は力を失います
それは神様の目に正しいことで その時御国では祝宴です

この人は悪魔に加担しているが 知らずにやっているのだから
この人に悪気はないと言ってはいけない と神様は仰いました

悪意に同意をするのは悪い心から来ることを
認めなければいけないと神様は仰いました

悪意を持って支配をしようとされていたことを認め
背後の霊を縛り上げてその力を奪い
その人の背後にいる悪い力を制しなさいと仰いました

そうしてから その人が自分に対して
悪いことをしようとしたことを赦してあげなさいと
神様は仰いました

悪い力を頼りとしていた人が
力を失うのは良いことだと思います
そこには神様の恵みが流れる余地が出来るからです

神様の恵みは常に注がれています
私はただ示されるままに
邪魔をするものをただ縛るだけであり
その後のことは神様がなさるのです

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