神様が創られた自分の姿と向き合う

今日のQTで 神様はどうして真理を知ることで
自由を得られるのかを詳細に説明してくださいました

知らなければ罪は軽くなるが 悔い改める機会は得られない
知れば(重い)裁きか悔い改めによる(完全な)救いかの2択になる

自由とは選択の余地があり はじめて自由だと言える
罪に死ぬことしか選択肢がないうちは
自由はなく 死に支配されていると言える

神様は聖書を通して
イエスさまの死の贖いと復活を信じる者を義人とし
その人の罪をもう思い出さない という約束

相続権を持った実子の身分を与える という約束
(この部分について英訳では養子という意味の単語が
 使われているようですが 原文では実子という意味の
 単語が使われているそうです)

また 聖霊なる助け主を送るが 聖霊は
何が正しく何が間違えているかを教える
という約束をくださいました

何が正しく何が間違えているかを教えるということは
知らずに犯す罪というものがなくなることを意味します

神様はクリスチャンの罪をもう思い出さないと
仰ってくださいましたが そこには但し書きがあり
例えば 自分自身が赦されたにも関わらず
他の人を赦さずにいれば 赦しの約束は取り消されてしまいます
(ですがそれに気付き悔い改めれば再び赦されます)

神様の相続権を持った実子の身分が与えられるというのは
何も 無条件に全てが与えられるわけではありません

神様から相続するものはただの金品などではなく
才能という霊的なものであったり
土地であったり 場合によっては人であったりするからです
(イエスさまは人に遣える者として来られましたから
人が与えられるという時 私たちはその人のために遣えます)

大きな国の王子・王女が何人もいたとしても
全ての子どもに均等に無条件に財産が与えられるわけではなく
王の心をよく理解し 良い政治を行う者がいれば
財産を管理し働く人たちを正しく養える者もいれば
スポーツ 芸術 教育 或いは励ます者 癒す者など
一人ひとり全て違う賜物が与えられており
それを為し遂げるための必要が与えられるのです

賜物を活かして増やすものはより多くが与えられ
賜物を隠して何もしない者は
持っているものすら取り上げられるのです

あなたにはこの賜物がある この仕事が与えられていると
預言をする者や聖霊を通して語られても
それを磨くことをしなければ取り上げられてしまいます

しかも敵は賜物が発揮されることを最も嫌い
常に攻撃と誘惑 或いは神の子となる前の生き方に引き戻し
全てを台無しにしようと頑張っているわけです

故に 昨日語られたレーマ

敵の嘘に付き合う必要はありません
ただ自分のやるべきことをやりなさい

ということが重要になってくるわけです

そのように語られるということは
私自身が敵の嘘に付き合ってしまっているからで
それを見つけて手放す必要がありました

心当たりはありました
それは私の中からどうしても拭い去れない
罪悪感があったからです

ですが 自分が赦されている 受け入れられている
ということがりゅうくんを通してわかりました

私がそれに心を開いていないだけだった
ということが改めてよくわかりました

それに伴い 神様が私に作った「自分らしさ」が
どういうものかもなんとなくわかってきたので
これは神様が創られた自分の本当の姿を
受け入れる過程でもあるのかもしれないと思いました

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