自分の弱さと向き合う

昨日 りゅうくんの物語がその日の出来事を
そのまま表していたことについて
朝にきちんと送ってくれて読んでいたら
平安に過ごせたのにー と思いましたが

よくよく考えたら平安に過ごせていたら
営業電話を社長に振ることがなく そうなると
「船長が剣を落とす」という出来事が
起きなかったかもしれない

平安ではなかったことが 神様の預言の
成就のために必要なことだったのかもしれない

と気付きました

りゅうくんの物語には 実はもうひとつ
お話(というか伏線)が書かれていました

私たちの目には急ぎ対応しなければならない
問題が起きているのですが 神様は
時が来なければ何も成らないから
今はこの話を聞きなさい と
別の話をしてくださったのです

人の思いを越えて 神様は全てを
ご覧になっておられるのだなぁと思いますが
その中で 神様はQTを通してこの様なことを
語ってくださいました

這うものも管理せよと父は人に言いました
それは父が人に与えた権威のほんのわずか一部であり
あなた方はそれも含めたすべてを
管理出来るようになる必要があります

当時(=福音書に書かれたイエスさまが十字架にかかる前)
まだ権威は悪魔の手に有りわたしはそれを取り戻す前でした
その中にあってもわたしはわたしの父の素晴らしさを現し
人々が求めてやまない真の神と御国について教えましたが
地における権威は悪魔の手にあり それに従いたいものは従いました

ところが今の世はどうでしょうか

わたしが勝利し 敵は配下に下りました
ですからあなたが敵を縛る祈りをすれば
彼らは動くことが出来なくなります

敗戦国に従うものが昔は良かったと言っていたとして
そこに何の力があるでしょう

敵の嘘に付き合う必要はありません
ただ自分のやるべきことをやりなさい

このレーマを思い巡らしていて感じたのは

敵の嘘に付き合うということの筆頭は
党派心という言葉にも象徴される
善悪の判断をすることだということでした

そしてそれは 背後の霊に大きな影響を受ける
ということを神様は体験させてくださいました

幼い頃 よく一人ひとりと向き合って話をすると
とても優しい良い子たちなのに 集団になると
びっくりするような意地悪をする子たちがいました

また噂話に同意することでも同じようなことが起こります
背後にいる霊がどういうものかにより
人の感情や態度に影響が出てくるわけですが

そういった「悪霊に反応する人」に対して
批判的な思いが出る時 自分自身が
その悪霊の影響を受けているのだと気付きました

自分自身がきちんと主権を握っているなら
批判的な思いではなく フラットで冷静な
神様の目線に意識を向けることが出来ます

しかし感情的になるのであるなら
自分自身がその支配下にあるのです

私は 神様から出たものではなく人から出た
良い・悪いという価値観で盛り上がる人たちとは
交わらないようにしていました

それは私が それらとどう戦えば良いのかを
わかっていなかったからであり
それは私自身の弱みとも言えるものでした

しかし神様は今日 私が普段嫌だなと思い
避けているものの背後にいる霊が
どのような性質のものであるかをはっきり示されました

神様は 私の弱みに栄光を現わしてくださる方です

恐れて避けるのではなく 性質をよく理解した上で
権威を持ってそれらを縛り上げるようにと
促されているように感じました

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